Aクラスと暮らす ほぼ毎日書けない日記

2001年11月

  Tidy & Cozy

A story of A

 


2001年11月30日

突然の別れ............母の交通事故(その9)

ちょっと早めだったが、先週末に四十九日の法要と納骨を済ませた。

やっと、と言うか、あっと間と言うか、何だか時間の感覚がよくつかめないまま一ヶ月が経過した感じがする。

そして、その翌日には損保会社から二回目の話し合いがあった............指定時間きっかりに、年の頃なら50歳前ぐらいだろうか、担当の保険屋と加害者となった運転をしていた女性が一緒に訪れた。仏壇のお線香を上げ、とりあえず今までの経過報告となった。

生命保険の手続きはほぼ完了しているが、一つだけ病院へ渡している定型の死亡診断書だけがまだ貰えていなかった。私も病院勤務だから良く知っている事だが、病院の診断書と言うのは、担当医師が空いた時間にちょこっと書き入れたり、夜間溜まっている書類を書いたりしている状態で、特に救急勤務の医師は、そんな時間がなかなか取れないのが現状だ。

だから、事務方から「先生、早く書いてよ」と急かせない限り、なかなか戻ってこない物なのだ。書き入れる時間なんて10分もあれば済むのだが、そこまで行き着く時間を作るだけでも結構大変。と言うか、怠慢と言うか、医者それぞれ、と言う感じがする。早い医師だと、出したその日に書き入れるのだが、夏休みの宿題を何時までもほったらかしていた人なら、なかなか書いてくれない。

ま、もう少し待ちましょう」と、言われても既に一ヶ月ですからね。

で、具体的な賠償の話となった。

逸失利益」の計算の仕方「葬祭費用」それに「慰謝料」の話である。ま、このご時世どこの保険会社も大変だな〜と思ってしまった。具体的な話は避けるが「先のテロ事件で我が社も大変なんです」とか「私のボーナスが無くなってもこれが限度です」とか「精一杯」って感じがした。最初の話し合いで、こちらが「争うつもりはない」と言った為か、とたんに手のひらを返した様に足下を見てきた。何だか、情けない話である。結局、示談書に判子を押すまでは至らなかったのだが、担当の保険屋さんも会社との板挟みの様で逆にこっちが気を使ってしまった。

だが、本来助け合いの精神で生まれた「保険」が、今や単なる「金儲け」の手段に成り代わったのは嘆かわしい事だ。「事情も知らないで」と保険業界の方からは言われそうだが、裏の事情も良く知っていただけに「交渉が下手だな....」と終始思ってしまった。

最後に、加害者が警察へ提出する「上申書」なる物を依頼された。「右の物は、これこれしかじかで良く反省しているので許してあげてください、うんぬん」みたいな文面である。

加害者には何の敵意も無いし、むしろ加害者にしてしまったこちらの方の責任を感じる。刑事罰がどうなるのか、その後の事は解らないが、まだ人生の半分も来ていない彼女だから、今回の事を戒めと教訓として残された人生を生きていって欲しい.........ただそれだけである。

そうそう、この上申書、例えばスピード違反で捕まって点数が無かった時なんかも、少しは有効とか(本当かな?)、あと、人を助けて表彰して貰った事があるとか、そう言うのも罰則の減罪になるそうです。

 

で、今後の保険屋さんとの話の事は逐次日記には書けません。知り合いの弁護士や、元保険屋さんの助言もあり、良い方向へ向かうようにしてみます。ただ、これも経験者でないと体験出来ない話なので、最終的に決着が付けば、まとめてHPに掲載したいと思います。

2001年11月29日

臨時郵便屋さん

年賀状の季節である。

と、言ってもご存じの様に今年の我が家は「喪中ハガキ」となる。いつもなら、クリスマスの時期になってようやく原案を作って、暮れの押し迫った時期に、やっと宛名を書いて投函されるのだが、今年はちょっと違った。

そもそも「喪中ハガキ」は11月中に出さないといけない。と言うのも、既に年賀ハガキは発売され、明後日から受け付けなのである。そんなに、「あせって年賀状を出すやつがいるのか?」と思えば、TVを見ると毎年の様に郵便局で並んでまで投函する人がいる。これを「年賀状オタク」と呼ばずに、何と呼ぶのか。

しかも、数百枚持参してたりする人を見ると、普段なにをしているのか興味ある所なのだが、ま、その話は置いといて.....。

喪中ハガキ」は既に印刷されて手元にある。あとは、宛名を書くだけだった。だが、今年は「プリンター」を買ったばかりなので、これを利用しない手はない。丁度「ファイルメーカーPro 5.5」のおまけに住所録があり、ちゃんと七桁郵便番号からリレーションで引っ張ってこれる様にしてあった。

ファイルメーカーだと、後々自分の好きな様に加工できるので、とりあえずこれに入れて印刷をしてみたのだ。だが、普通の場合だと良いのだが、相手が連名だと、フィールドを一つ作らないといけない。それどころか、その印刷位置も名前の長さで変わってしまうのだ......うーん。

と悩んだ翌日には「宛名職人」を手にしていた。最初っから、これを使えば良かったのだが、以前プリンターとの相性で上手く印刷位置が合わせられなかった事があった。下手にパソコン素人と同じソフトを使わずに、データベースソフトをいじったりする方が自由度があって良いと思っていたのだ。

で、ファイルメーカーからTAB切りで出して「宛名職人」に取り込んで、試しに印刷してみる............すると連名もばっちり、印刷位置も変更せずにそのままでOK、おぉ!なんと楽なのか。

印刷もまとめて50枚くらい入れて置いても、途中で詰まったりする事なくスムーズである。(昔は良くつまったりして一枚一枚入れたりした)。ただ、いくら白黒印刷の速い「キヤノン」とは言え「S300」は11ppmだから、100枚近くあると結構時間が掛かる。でも、ほったらかしでも、ちゃんと印刷してくれるので、妻は「もっと早く買えば良かった」と、言った。

あれだけ「そんな物買いません」と言っていたくせに.....。

「S300」コンパクトだが、スピードは速い方
AチョロQを置いてみました、コンパクトなのに大きく見える?

 

さて、印刷したハガキをお昼休みに「郵便局」へ持って行った。昼休みの郵便局はやたら混んでいる。やっと順番が来て「これ、お願いします」とハガキの束を差し出したら、「貼られますか?それとも押しますか?」と言われた。

こう言う物って、向こうがハンコを押してくれるのだと思っていたが、忙しいのか「自分でしなさい」と言う事らしい(局によっては、ハンコなしで配達したりする)。

で、そばにあった机で、一枚一枚「ぺったんぺったん」と押していった............「結構楽しいのである(^^;)。

 

PS:帰り際、ERの配達用オートバイとAを一緒にデジカメしょうと思ったら、「CFカード」を家に忘れていた(; ;)。

2001年11月27日

俺じゃないか!?

久しぶりに音楽「DVD」を買った。

DVDも久しぶりならば、音楽ソース自体も久しぶりである。実は、丁度一年前に私が秘蔵していた「音楽CD、LP、VTR等」のたぐい約700枚を処分して以来の買い物だった。

処分」って言っても、焼却した訳でもなく燃えるゴミの日に出した訳でもない。いわゆる「買い取り」と言う物に初めて出したのだ。そのCDやLPは遙か昔、学生の頃に買った物も沢山あった。恥ずかしい単語で言えば「青春の思い出」なのである。

そんな「恥ずかしい思い出」を売り払ったのは、家にもう置くところが無いと言う理由と、私の中では既に消化した物であり、いわば燃えカス、消化後の「あれ」の様な存在なのだった。

中には10年ぶりに聴いて、再び感動を得た物もあるが、結局の所直ぐに消えてしまった。中には「お宝」と証される物も何点かあったのだが、そう言う物の価値も知りたいし、試しに50枚程度送ったら(買い取りはディスクUNION)それなりの値段が付いたので、現在では入手困難な秘蔵品以外は売り払った。

ただ、ちょっとでもキズがあったり、ジャケットに難あると買い取り価格が下がるので、それらは全て返品して貰った(だって勿体ないもの)。それで得たお金は、某VBの未公開株購入の一部に当てて、少しばかり「夢を見る」事にしたのだ。

それ以後、お金を出してCDやDVDを買う事は無かったのだが、日記にも書いた「昨年の5月12日」に大阪へ見に行ったドリームシアターのライブDVDが発売されていたのを見つけた。

で、再び感動を得るために、少ない小遣いから捻出して買った訳だ(この辺り学生の時と変わらない)。さてさて、このライブDVDにはボーナストラックとして、ワールドツアーの写真が入っていた。それを見ていたら、何とあの日の大阪での写真があるではないか!!

しかも、そこにはあの時の私の姿がぁぁ〜!!?.........写っている様に見えました。

DVD「メトロポリス・パート2」
あ、大阪だ
ほれ、ここに俺が映っている....?

 

いゃー、音楽って良いですね。と再び鳥肌物を聴いて(見て)感動した訳です。実は、この一年音楽を全く聴かなかった訳ではありませんでした。と言うのも、インターネット上には「MP3」と言う「只物」が存在するからです。しかも、インターネットラジオの専門局では、美味しい音楽の垂れ流しをしている訳で、それを「録音」する事も出来る時代なのです。

こうやって、お金を使わない音楽にもそれなりの感動ってのもを感じるのですが、やはりお金を出して、買って、ちゃんと綺麗で良い音で聴いた方が、その感動は何倍にもなると実感した訳でごさいます。

2001年11月26日

何処へ行ったんだ〜(汗)

久しぶりに給油の話。

と、言ってもここのところ実家の往復(高速道路・瀬戸大橋)を頻繁にしているので、ここ一ヶ月の間だけでも3回の給油を行っていた。で、平均で大体「11〜12km/L」と言ったところだろうか。例年なら寒くなると少し燃費が落ちるのだが、やはり長距離走るとこの程度にはなる。

先日は、実家の近くで給油してみた。普通のガソリンスタンドへ行こうとも思ったが、やはりセルフの店に行ってしまった。「安い」と言うより、「満タンストップまで」と言ったら、どうしても2/3ぐらいしか入らないし、「満タン」と言って「超満タン=エンスト」になっても困るので、普通のスタンドは避けるようになった。

やはり、セルフはスタンドのお兄さんがあれやこれや言って来ないので気楽なのだ。

と、思っていたら「洗車どうですか?」と声を掛けられた。ここ二ヶ月ばかり洗車をしていないので汚れが目立っていた様だ。ブラシ洗車だったので「結構です」と断ったが、後ろのプレート付近にまたまたクモの巣を発見した。家へ帰って、とりあえず雑巾で拭き取ったが、結局そのまま洗車してしまった。

久しぶりの実家での洗車である。高速道路を何回か走った為か、前のナンバープレートには虫の残骸がこびりついて取れなくなっているし、前輪はブレーキダストで真っ黒くろすけになっていた。

高速道路で思い出したが、昨日実家から戻ろうとしたら、「ハイウェイカード」が見あたらないのだ。あわてて車の中を探したのだが、何処にも無い。「3万円券」で、まだ一万円以上残っていたハズ。しかし、何処にも見あたらない(ショック)。

仕方ないので、帰りの「与島パーキングエリア」で、またまた3万円のハイウェイカードを買った(涙)。高額のハイウェイカードになれば、割引率が高くなると思って買ったのに、紛失したら元も子もない。

やはり「ETCかな〜」と思った次第である.......トホホホホ。

実家の近くのスタンド
やはり満タンまで到達しない針
ここへ置いたはずなのだが...しかもピンぼけ

 

ETC」と言えば、今月末から当地でもETCが導入される。昨日通った時は既にゲートが出来ておりテスト中であった。しかも期間限定だが「20%割引」がある。

だが、肝心の「本州四国連絡橋公団」は対象外だ。これは既に割り引きになっているので、これ以上の割引は出来ない事なのか....それでも往復(坂出-早島)「9,000円」は痛い。

2001年11月22日

突然の別れ............母の交通事故(その8)

約束の時間より少し早めに、T保険がやって来た......。

挨拶もそこそこに、早速渡していた生命保険の書類を貰った。そこには事故の状況や説明図、それに「新聞記事のコピー」も一緒に貼られていた。記事があると信頼性があると言う事なのか、最近では保険金詐欺事件の事もあり何処も慎重なのだそうだ。

ただ「JAだけは違った」。お葬式の翌日には既に向こうから挨拶があり、どう言う保険で書類はこう言う物をそろえて欲しいと言って来た。やはり地元に根付いたJAならではと言う事だろうか。受付の人も母の事を覚えていてくれたそうで、それだけでも信頼関係が出来ていた。他の保険会社では書類だけでOKの所や、送った書類を元に「再度調査」を行う所もあり、色々なのだ。

さて、話し合いの前に実際の事故の報告書を見せてもらった。この報告書と言うのは保険会社とは別の所(第三者機関)へ依頼して制作される物だが、保険会社の息のかかった所だと、その書き方が微妙に違い過失割合にも影響するのだとか(某HPの内緒話)。ちらっと見た、その報告書の会社は聞いた事のない「何とかと言う有限会社」だったが、そんな調査会社が存在する事自体も知らなかった(何処かの天下り先か?)。

ただ、報告書には現場の写真や双方の車の走った軌跡の図面が事細かく書かれていた。ついでに、母の乗っていた車の車種を聞いたら「dB」だった。あの車の後部座席に乗っていながら、軽四自動車が側面から衝突しただけで命を落とすなんて、何だかやりきれない。

しかも、相手側にあったと思った一旦停止線の白線は、実は横断歩道の停止線であり標識は無かった。よって向こうの優先道路は明白で、過失割合は「9:1」とこちらの過失が重い結果となった。これには、運転手もかなり落ち込んでいた様で、当然刑事罰や罰金も科せられる話だった。

一緒に乗せて行ってあげましょう」と言う親切心が、こんな罪に変わってしまうとは加害者にも同情する。ハンドルを握る以上同乗者の命を預かっている事は当然の事だが、これを日々日常で感じている人は少ないと思う。「運が悪かった」そう思えばそれだけなのだが、たとえ同乗者に対しても明日は自分自身が加害者になりうる可能性もある事を忘れてはいけない。

ただ、一旦停止を怠っていた事は運転手の過失だが「安全だ」と思いこませる道路の状態や副路側に一旦停止線や標識が無かった事が悔やまれる。本当の過失は両車両の運転手と、この道路管理にもある気がする。以前、某車雑誌で時間差信号機で起きた交通事故の加害者の話が載っていたが「勘違い」をさせる道路にも、それを管理する側にも責任はあると思うのだが、全てを完璧にする事は絶対に無理な話だと思う。

毎日通る道にも「ここに信号があったら良いのに」とか「あっちから来る車が見えづらい」等思う所は何カ所もある。そこでの交通事故も見てきたが、では何処の誰に言ったら良いのか?と思っている内に通過してしまう。その時はそれで良いのだが、最終的には誰かが犠牲にならない限り対策は立てられないのが現状だ。

話し合いの内一つだけ気になったのは、運転手の自動車保険に「搭乗者保険」が無かった事だ。TAPだっのだが、削れる所は削ろうと言う趣旨で入ってなかったそうだ。年齢的にもまだ若いので、保険料も高く割引率も低いだろうし、その気持ちも解るのだが、こう言う事故があると「リスク細分型の保険」と言うのは、本当に「保険」なのか疑問でもある。ただ、今回の場合「好意の同乗者」でありながら「人身傷害保険(定額払い)」や「対人賠償」に該当するので、被害者が高齢者と言う事もあり損害賠償額にはさほど影響は無い。

だが、インターネット上にある「交通事故相談」の掲示板を見ると悲惨な話が沢山あった。特に最近は「無保険車」が多く、しかも「任意保険」はおろか「自賠責」にも入っていない車が平然と道路を走っている。保険に入っていない人に損害賠償の意識は低く経済的にも無理であり、加害者が逃げたケースや裁判で長期間争っているケースが今も掲示板に書き込まれている。

ひき逃げとか飲酒とか、凶悪な交通違反で無かった事は不幸中の幸いなのだが、穏やか晴れの日に、安全とされる「後部座席」に座っていながら通行量の少ない交差点での事故だっただけに、「何故?」と言う疑問だけが残ってしまった.....。

 

時々、交通事故裁判勝訴の記事を目にするが、裁判を起こすのは、被害者の無念さを晴らす事なのだ。決してお金で解決してもらおうとは思えないし、そんなお金で何か買ったり、美味しい物を食べたり、旅行へ行ったりしても、一つも「満足感」は得られない。お金と言う物は不思議なもので、その金額より、それをどうやって得たかで、ずいぶんと「幸福感」が違うのだ。

今や自動車保険は「一円でも安い方がお得」と言う風潮がある。ただ得なのは事故を起こす前だけかも知れない。

2001年11月21日

突然の別れ............母の交通事故(その7)

自動車保険の内容なんて、実際事故を起こしてみないと解らないもの。

私も、初めて接触事故を起こした時に「過失割合」とか「示談」とか言う単語の意味を知ったぐらいで、大抵の人は保険内容より、毎年支払う保険金額の方が気になる存在なのだ。

母が亡くなった後「損害賠償」と言う話は避けては通れないもの。悲しみを「現金」で帳消しにする事は理解していたが、いざ実際に当事者の立場になると、とまどうものだ。先日、お焼香にみえた町内会長さんは以前そう言った仕事をしていたそうで.....「しっかり保証してもらう事も供養の一つ」と助言を頂いた。

じゃ、その保証ってどうなの?」と疑問が湧きつつあった。で、インターネットで色々と調べてみたり、叔父が県の「交通事故相談所」へ言って聞いてきた話を合わせて、何となく解り始めたのだ。

示談交渉先は「任意保険会社」だが、根本にある「自賠責保険」の話もそこを通して話しをする事になる。自賠責では補償額がちゃんと決まっている、死亡事故の場合は、「葬儀費、逸失利益、被害者本人の慰謝料および遺族の慰謝料」が支払われる事となり、本人の年齢や請求者の人数などで、その金額は定められているのだ。この内「逸失利益」とは、つまり本人が生きていたら生涯えられるであろう利益の事で、母の様な働いていない年金受給者にも、その受給額から計算された金額が自動的に算出される事になる。

ただ、ご存じの様に自賠責では「3000万円」が限度額なので、それを越したら任意保険で支払われる事になる。いろんなホームページを見ると「保険会社は自賠責から支払われる額に毛の生えた金額を提示してくるので、誤魔化されては行けない」と交渉術なる事が某サイトには書いてある。

保険の自由化に伴い、保険会社は一斉に値下げ競争を始めた結果、総収入が減るので、おのずと「払いしぶり」の傾向にあると言うのだ。確かに、保険料が安くなるのは、事故を起こさない限り嬉しい話だが、いざ事故を起こすと、今度は「被害者」にそのしわ寄せが来ている現状もある。

少し混乱するのだが、インターネット上で書かれているのは、「弁護士サイト」なのか、「公的サイト」なのか、それとも「元保険屋サイト」と立場が違えばその言い方や要求出来る額にも差が出てくるので、鵜呑みには出来ない。

例えば「慰謝料」にしても一般的には自賠責基準:任意保険基準:裁判基準の割合は100%:150%:200%と思った方が良さそうだ。だが、死亡事故の場合それ程話し合いがこじれる事は無いそうで、示談額に不満なら弁護士を立てて裁判を起こせば、多少なりとも上乗せ出来た例は沢山あるが、裁判費用(請求額の約1割)や時間を考えると、ほとんどの場合「任意保険基準」で示談交渉は成立する。ま、あまりお金の事で騒ぎたくはないし、こう言う交渉は早く済ませたいと言うのが残された人間の率直な思いだ。

 

そして、事故から約二週間後、二回目の交渉(と言うか最初は挨拶だけ)の為、約束の時間より少し早めに、T保険がやって来た......つづく。

保険の話はまだ終わっていない。こちらも生命保険の関係で、事故の様子を書いた書類をお願いしていたし、相続の関係で母の「原戸籍」も取らなくては行けない、ずいぶんと厄介な話だが、保険屋としては、過失割合とか後遺症の考えがない分、「死亡事故」は簡単な仕事なのだそうだ。

      

2001年11月20日

長い道のりの始まり?(その5)

フィット」の感想は......。

意外にも大きいと思った。もちろん車としては小型車なのだが、妻が望む車としては大きいのではないかと思った。今のパジェロミニでさえ、四隅を擦るぐらいの運転技術だから、これ以上大きくなったら.....と思うと一抹の不安がよぎる。

車自体に不満はないし、価格的にも十分OKの範囲なのだが、こればっかりは本人の意見を聞いてみないと解らないので、とりあえず保留である。そう思うと、他の候補である「現行VW ポロ」でも良いかな?と思い始めた。実は「現行ポロ」は意外にも「フィット」より小さいのである。しかも安全性は高いし高速走行も良い、ただ燃費だけが冴えないのだ.....。

来春発売予定の「丸目New ポロ」も候補の一つなのだが、丸目ポロは「フィット」より幾分デカくなる。ま、大差は無いかも知れないが「車は足代わり」で、メンテナンスは一切しない(出来ない)妻だから、そのまま乗りっぱなしで行くと辛い物がある。しかもディーラーが少し離れている(妻にしてみれば)ので、何かあった場合少々厄介なのだ。ま、これも「楽しみの一つ」とは思うのだが、車が趣味でないと「厄介」以外何者でもない。

と、なるとやはり国産車が安心か.......。

と、思い始めたらホンダへ寄った日にスズキから「MRワゴン」が発表となった。以前、「Kei」も候補の一つだったが「MRワゴン」は99年のモーターショーから目を付けていた車。しかも当時の発表とほぼ代わらないデザインで発売されるとなると興味津々である。ただ、当初の噂であったエンジンをホイールベース内の床下にマウントする方式でなく結局FFになってしまった、中身はただの「スズキの軽」である。

で、発表の翌日土曜日に早速「スズキの店」に行ってみた。

前回と同じ、Aで乗り付けると店内や店外にいた店の人視線がすでにこちらにある。「いゃだな〜」と思いつつ誰にも視線を合わせないで中に入ると、みんなこっちを見ている様子。店内には客一人で、展示車の「Kei」が一台。あとは、事務所と言うか店の人が座っている机がずらりと並んでいる。

聖地ヤナセ」の様に、ホテルのロビー風でないのは庶民的と言うか、スズキの店らしい。とりあえず進んでいくと、一番手前に座っていた「お姉さん」と目が合ってしまった。お姉さんと言っても、「昨年地元の短大を出て親のコネでここへ就職しました」みたいな、笑顔の少ない子であった(勝手に想像)。

とりあえず現車は無い様子なので「MRワゴンのカタログありますか?」と訪ねたら、後ろにいたおじさんが目で合図して、カウンターの上にあったカタログを手渡してくれた。「価格表とかは...」と訪ねたら「まだです」との事。実際はHPで解るが、地元価格は未だ未定の様だった。現車が入るのは、来月4日が発売なので、その頃だと.....。

結局店に居たのは3分ぐらい。で、カタログを手にしたまま、店を後にしたのだった......。

MRワゴンのカタログ....価格はフィットとほぼ同じ
これってAじゃないよね...

 

そのお姉さんは、店の教育通り店外まで見送りに出た。「お車は、あの赤い色の....」と聞くので、「あ、もう一台の車の買い換えです」と告げた。店から出ると深々とお辞儀をされたが、「Aクラス」って知っているのだろうか........?

さて、早速家へ帰ってカタログチェックである、..........うーん見れば見るほどAクラス似だー!

2001年11月19日

長い道のりの始まり?(その4)

あれは2月の事だった.......(結末に......だが、それは「長い道のり」の始まりかも知れない....。)

と書いたパジェロミニ買い換えの話だが、予想通りその話には続きがあった。運良くエアコン修理を格安で済ました妻の乗る車だったが「やはり買い換えよう」とにわかに思い始めた。だが、何時もの様に妻には言っていない。とりあえず、私が決めて後は色ぐらいを相談する事になるだろうが、最後の最後で「いらない」と言われるかも知れない。

しかし今回は違う。先日の母の事故の事もあり、今の車にエアバッグが付いていない事が気になる。その上燃費が悪く、年々大きくなっていく子供達にとっては、ちょっと狭い後部座席だ。で、来年の6月で三回目の車検となるので、そろそろ買い換えモードに入っても良いと思ったのだ。

以前の候補では「1. 軽四であること 2. ワゴンタイプ・RV車で無い事 3. 4ドアである事(2シーターは×) 4.燃費が良いこと」と条件を付けたが、どうも最近になって「フィット」が気になり始めた。やはり抜群の燃費なので、別に軽四でなくても良いと思うし、実家へ帰る時の高速運転を考えると「フィット」ぐらいだったら許されるのでは?と勝手に解釈しはじめていた。

思い立ったら吉日である。本当は日曜日にゆっくりとディーラー回りを始める予定だったが、どうもガマンできずに金曜日の夕方、仕事帰りに馴染みの「ホンダ店」へ寄ってみた。

以前にも書いた通り、顔見知りの営業氏がいるのを知って店内へ入ってみた。だが、丁度展示車の入れ替えで、店内はあわただしく従業員一同片手に掃除道具を持ってウロウロしていた。とりあえず店の奥入っていったら、ホウキを持った店員が居たので「あのーHさんいますか」と指名してしまった。

別に誰でも良いのではあるが、気心を知っている営業の人が良いし、Aクラスを買う前に橋の上で立ち往生をした時に助けて貰った「」もある。だって、こちらが仕事をしている間にレッカー車で車を移動して、放置していた某会社の駐車場には挨拶してくれるし、それでいてレッカー代などは一切請求せれなかった。そんな「」を感じたら「次はお宅様で買わせて貰います(ここで買った車ではなかった)」と思ってしまう(これも思う壺かも知れないが)。

で、早速H氏登場。「あーどうも」と顔を見た瞬間に、相手の乗っている車、家族構成、買い時なのかどうかが俄にデータとして出てくる営業氏である。「実はフィットが.....」と言い終わる内に「はいはい」とカタログを差し出された。「売れているみたいですね」と言うと一呼吸置いて「お陰様で」と返って来た。

だが、こちらが「新し物好き」だと知ってか、「今度これが出るのですよ」と先日のモーターショーでも出品された「SUU」のカタログも取り出してきた。しかも「来年の二月には新しい軽も出ます」それと「シビックのハイブリッドと....」と新車情報をまくし立てて来た。

いや、それはいいのですが」と心の中でつぶやきながら「フィットも来春1.5が出るんですよね」と聞くと「いゃーそれはまだ聞いておりません」との事。これで、やっとフィットの話題に入る事になる。とりあえず人気商品なので、「今予約されると来年の1〜2月には納車出来ると思います(引き当てると表現した)」と自身満々だ。

ここはホンダの直営店(モビテック)だから出来る技なのか。いや、フィットの納車が遅れている理由にはCVTで使用する部品の供給が間に合わない事があると聞く。しかもその部品は外国生産だったが、それをやっと国内で製造出来る体制になったのだ.......と言う事は言わなかった。だって何となく出鼻をくじく様で言えなかったのだ....。

ホンダ店にて

 

で、店の前に止まっていた赤色のフィットに乗り込んでみた。「ひ、広〜い」Aより長いので後部座席が広い事は予想できたが、室内がすごく広く感じた。ドアを閉めてもエンジンほ掛けても「(価格的には)なかなかの物」である。

ただ、営業氏曰く「コスト的に高級感はないのですが」と、一応「ベンツ乗り」に気を使った事を言ってくれたが、所詮Aクラスに高級感など求めていない。やはりこう言う車は「カジュアル」に乗らなくっちゃ.......と思ったのだ.......つづく。

 

   

2001年11月16日

突然の別れ............母の交通事故(その6)

続きの話です。

本葬が終わったら、火葬場まで行きます。

当然「霊柩車」に乗る訳です「乗った事ありますか?霊柩車」もちろん、助手席ですが。こう言う経験も二度と出来ないかも知れないと思いつつ、車に乗り込むと何故か冷静でした。長いお経と別れの涙で、ちょっと疲れたと言うか「ホッとした」感じでしょうか。

外は雨でしたが、中はとても静かで足下が広かったのを覚えています。乗ったのは洋式の霊柩車で、昔良く見た屋根付きの霊柩車ではありませんでした。別に希望とかは聞かれなかったのですが、ここの葬祭場はそれなのかも知れません。私の住む高松市は全部「洋式」なのですが、岡山ではどちらも走っていました。

リンカーン」か何かの改造車でしょうか。広すぎるので妙に落ち着けません。それと、運転手さんは無口な人で(当たり前か)、火葬場までの長い道のり、あまりにも静かなので「雨ですね」と言ってみたのですが「そうですね」で会話は終わってしまいました。ま、そりゃそうでしょう、霊柩車の中で運転手と談笑なんて変な話しですから。雨と言う事もあり、凄くゆっくりと走りました。ま、霊柩車が暴走したり、事故ったら洒落になりませんからね。もう一つゆっくり走るのは、後から付いてくる車を考えての走行でした。

さてさて「火葬場」に到着です。最後のお経と別れの後に、母は旅だって逝きました...........山の上の静けさも手伝ってか、さっきまでの喧噪とは別空間の中で脱力感を感じました。

伊丹十三監督の映画「お葬式」でもありましたが、この火葬場での待ち時間は久しぶりに会った親戚のおじさんとか従兄弟とかの談笑となる訳です......で、二時間も掛からなかったと思いますが呼び出しがあり、いわゆる「お骨拾い」の儀式みたいなものがあります。これは地方によって違うと思いますが、倉敷では、「ここが○○の骨」とか「ここも拾ってあげて」とか、細かく指示されました。うーん、こんな話を書くと何だか生々しいですね。でも、ここまで見届て、やっと死が実感される様になる訳でしょうが、それでもその時はまだ現実と夢の中をさまよっていた感じでした。

でも「交通事故死と言うのはこう言う現実があるのだ」と思って下さい。

さて、お骨となり、再び葬儀場に戻ると親戚が遠方と言う事もあって、直ぐに「初七日」の法要となりました。それが終わると、とりあえずお寺さんとはここまでで、後は親戚の人たちと仕上げの法事となった訳です。いやはや、疲れました。いや、まだ多少の緊張感もあってか、本当の疲れを実感出来る程では無かったのですが、一応お葬式はこんな感じで終わりました........。

喪服を脱いだ翌日からは、いきなり現実的となりました。

市役所・社会保険事務所・銀行・郵便局・生命保険・農協等...いろんな所へ行き、沢山の人と会って、沢山の書類の作成です。そんなあわただしい中でも、電話と来客がひっきりなしに来ました。電話は「墓地・墓石」の関係で来客は「香典返し・仏壇仏具屋」関係です。これが一週間以上続きます。きっと新聞の「お悔やみ」を見て来るのでしょうか、どこも商売熱心です。

そんな、事務手続きもぼちぼち進んでますが、なかなか大変です。戸籍や印鑑証明のたぐいは沢山取らないといけないし、その合間にも実家へ帰って片付けや来客やらで、毎日が過ぎていきます。

ふと、一休みをすると「何処か遠くへ行きたい」と思ってしまいます...........。

 

一応、お葬式関係の話はこれで終わりとします。面白くもなく、気が滅入る話を読んで下さった方には感謝です。最後に、事故の関係での「自動車保険」に関しての話でも書こうかと思います。死亡事故に至らないまでも、自動車保険とのおつき合いはハンドルを握る方ならば、一生付いてまわるもの。被害者として改めて思った自動車保険の話です。

 

2001年11月15日

安全って...

母の事で10日近くメールチェックを怠っていたら「485通」も来ていた。

しかし、その大多数はMLやMMのたぐいである。毎日見ても、読み切れない時もあるので一時より減らしていたのだが、10日となると半端な数では無かった。いっその事全部止めてしまおうかと思ったりしたが、結局また続けている。

で、昨日来た「きゃらめる通信(MAC ShopのMM)」のコラムが面白かった。いや、面白かったのはコラム記事ではなくて、そこで紹介された「Googleの画像検索サービス」の事だ。Googleは言うまでもなく有名な検索サイトなのだが、サイト検索同様にキーワード検索すると、そのキーワードにヒットした画像がサムネイルで表示されるというものだ。

これ、普通のYahooなんかで検索するのとちょっと違う。試しに「Aclass」で検索したら、世界中のありとあらゆる「Aclass画像」が出てきた、その中にはσ(^.^)のサイトもあったりするのだが、Aクラスの画像としては見慣れない物も沢山あって面白かった。

既に見た方もおられると思うが、下の画像には笑ってしまった。いわゆる「Aクラス補助輪」である。「なんで補助輪が必要なのか」って?、ひょっとしたら最近のAクラスオーナーの方には、その意味が解らない方もいるかも知れない。

過去の汚点だが、人間失敗があってこそ次のステップへ進めるのだ。メルセデスが自動車の「安全」に関して異常なまでの投資をしたのは、過去のレースでの惨劇があったからだ。日本車もやっと最近になって「安全」を売り物にしてきたが、それは「売るための手段」であり目的は二の次の様な気がする。

輸出国に合わせて、ボディの溶接点数を変える国なんて、まだまだ「真の安全」なんてほど遠い国なのだ。

ベンツマークが泣かせる

 

ちなみに、昨日来たメールの中で「DM用メールアドレスのご案内」と言うのがあった。100万件:30,000円でアドレス収集ソフトとダブり削除ソフトも無料で提供すると言うのだ、しかもその他にも、携帯アドレスリスト:10,000円(非番号2.8万件分)特選裏情報:3,000円(実生活に役立つノウハウ等)芸能人情報:3,000円(メルアド、出身校(偏差値付)、加入宗教団体、住所・電話番号)なんてのもある。

そう言えばNTTの無差別メール対策のお陰か、昨日から迷惑メールが来なくなった。このメールは最後の売りさばきのか.......。

2001年11月14日

突然の別れ............母の交通事故(その5).....ジョージウィストンとMACと美空ひばりとビートルズ

さて、またまた交通事故の続きである。

でも「この話面白いですか?」面白いと言うのは語弊があるが興味を持たれている方がどのくらい居るのか解らない。同じ境遇に会わない限りは、読んでも面白くは無いと思ったりする。「何だか、もう良いかな」とも思ったのだが、ここまで書いたので私も一通り書いておこうと思う。と言うかAクラスに関しては、ネタが無いのも事実なのだが。

で、お葬式の事を一通り書いておきます。私自身、以前「お葬式」の手順や仕来りをHPで探しまくった事があるので、もしもの時の参考にでもして下さい。但し仏教形式での話、こう言う場合キリスト教とか、故人の遺志が表明されていれば随分楽だと思ったのだが......。

さて、葬儀屋さんに依頼すると見積書なるものを作成してくれる。予定では、お通夜・葬儀・初七日(大抵は続けて行われる)に参列する人の人数だとか、食事の種類などを決めていくが、向こうはプロなので親戚の数や近所(町内会)の事を告げれば大体の数は把握されるし「世間一般と同じ様に」と告げればそれなりに対処してくれる。

後々「ああすれば良かった」とか、思うのだが、その時はそれが精一杯と言う事もあり、あまり深く考えない方が良いのかも知れない。それにお葬式に慣れても何だか不幸ばかりに思えるので、こう言うのは不慣れで良いと思う。

次に、大切なのはお寺さんである。既に檀家とか、仏壇、お墓のある方は心配いらないが、今までお寺とのおつき合いの無い方は、ちょっと大変である。大変と言っても、それなりに知人や近所の方の助言や助けもあるので「なるようになる」と開き直った方が良いのかも知れない。私の場合、父の事があったので、今回はそれほど悩む事は無かった。ただ「お布施や戒名を幾ら包んだらよいか」などは、親戚やその土地の方に聞けば良いが、聞き難い場合は住職の方に直接聞いた方が良いのかも知れない。

喪主として、もう一つ「挨拶」と言うのがある。この挨拶がまた厄介なのだ。結婚式のスピーチの様に事前に予定されていれば良いが、お葬式はいきなり本番である。ただ、今回は葬儀屋さんが事前に「参考の挨拶文」を渡してくれた。後は名前の所を言えば完了するだけなのだが、それだは味気ない。結局、お通夜の夜中「Power Book」を取り出して、自分でそれなりに考えてみた。こう言うのはあまり形式にとらわれない様に思ったまま言えば良いと思うし、事前に書いた下書きを読んでも許されると思う。

夜中にキーボードを打ちながら文章を組み立てていく作業は、何時もの日記と同じやり方だった。

お通夜の始まる前、葬祭場にはBGMが流れていた。良く聞くと「ジョージウィストン(ウィンダムヒルレーベル)」の「オータム」だった。「」だからなのかも知れないが、この曲は心が落ち着いた。

あと、お通夜に行った時「お母様のお好きな歌がありましたらお葬式におかけします」と言われた。「特別無いです」と言ったのだが、何度も聞いてくるので、ふと「美空ひばりの川の流れのように」をお願いします、と言った。特別な理由は無いのだが、母の世代ならばこれが一番だと思ったのだ。

その時「自分だったら何が良いかな」と思った。色々と考えたが、やはりビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が無難かな、と思ったりしている........ちょっと格好付けすぎ?

何だか取り留めのない話になってしまいました。そうそう、お葬式に一体いくらお金が掛かるかも興味のある所でしょう。ただ、この相場と言うのも結婚式と同じ、土地や宗教によってかなり差が現れてくるのだと思います。今回の場合、よく言われる「香典でまかなえる」額でした。但し、お布施や戒名料は別です。これが結構馬鹿にならないし、「現金」で用意しないと行けなかったのが大変でした(土日だったので)。

ただ、後に書きますが、母のような交通事故の被害者だった場合、この葬祭費用は自賠責の損害賠償でちゃんと請求出来ます。

      

2001年11月13日

突然の別れ............母の交通事故(その4)

病院での「別れの儀」を終え、母を連れて帰ったのは午後四時頃だった。

家へ着くと、近所の方が沢山出迎えてくれた。町内会長からは「気をしっかり持って」と握手を求められたが、今考えても何か現実とは思えない感じだった。ただ、頭の芯では冷静に「これからやるべき事」を一つずつ考え、消化していく事だけを考えていた。悲しみに暮れるのはその後だ。

時間的にも、その日にお通夜を済ませるには遅すぎた。とりあえず、今日はこのままで、明日お通夜、明後日がお葬式。と、ぼんやりとスケジュールを考えていた。とりあえず、母の弟だけに電話を入れたが「これから行く」と言ってくれた。遠地なので、明日でもいいと思ったが「色々と考えて一晩過ごすには心苦しいから」と言って、その夜の内に駆けつけてくれた。後々この叔父の助けは、色々な面で心強かった。

その後、姉夫婦が到着。そして近所の人が立ち替わり入れ替わりやって来る、その間にも葬儀屋との打ち合わせ、職場への連絡とあわただしく時間が過ぎていく........皆さん「気を落とさない様に」「疲れを出さないように」と言ってくれる。ありがたい言葉だが、同じ事を何度も言われても疲れは来るし、悲しいのも事実だ。こう言う場合「悲しい時は悲しみなさい」と言ってくれた方が楽なのに.......と思った(これ、ちょっと古いですが加川良の曲にもありました)。

夕刻、事故の当事者達がやって来た。

病院でも会った運転をしていた女性と相手方の女性だった。母を前に「済みませんでした」「申し訳ありませんでした」と言われたが、その時は顔を合わす気にはなれなかった。特に相手側(ぶつかってきた方)は、「車を待たしてあるから」と、直ぐに帰ってしまったし「お通夜、お葬式には出ません」とはっきり言われた。恐らく、被害者はこちらだと言う意識が強いのだと思うが、少し多めの「香典」を置いていったきり、その後全く連絡はない。後は保険屋まかせと言う所だろうが、その保険屋からは一度も連絡は無い(過失割合によって交渉権が無いそうだが、挨拶ぐらいあっても.....)。

以前、私も優先道路走行中、副路から出てきた車と接触事故を起こした事がある。初めて事故を起こした時は「絶対にこちらには過失は無い」と思っていたが、車が走っていた以上、最低「20%」の過失が存在する。それも最初は納得は行かなかったが、こちらのスピード、前方の不注意、他を考えると、こちらの落ち度は全く無いとも言い切れない。

そして、お葬式の翌々日、運転をしていた女性と保険会社の人がやって来た。

その、少し前に「一度事故現場を見ておくか」と叔父と一緒に見に行った。場所は、家から数分の所。周りは稲刈り真っ最中の田で、こちらから直進方向左手に家が一軒ある。おそらく、その家と庭木でお互い見えにくいのだと思うが、相手側には「一旦停止の白線」が引いてあった。道路の幅からすれば、こちらが車一台が通れる程の「副路」で、向こうがセンターラインのある「優先道路」ではあるが、こちらには一旦停止の白線も標識も無かった。

だが、保険会社の言う事には「8:2」で母が同乗していた車の過失が大きいとの事。過失が大きいのは解るが、過失割合には少し納得が行かない。しかも相手側から見れば、右から飛び出して来て、こちらの車が道路を半分以上渡った所でぶつかった事になる。向側の進行方向の先には信号機があり、それに間に合うように「一旦停止をしていない、スピードの出し過ぎ」等、色々と推測されるが、今後の事故調査の結果を待って報告しますとの事。保険会社は、私と同じ「T保険」であり「TAP」だった。

その後、運転をしていた女性は何度も家を訪れた。事故の夕方にはローカルニュースにも出たし、翌日の新聞にも大きく記事が載り当事者の名前も出ていた。加害者の心境は察するが、お互いやりきれない気持ちでもある。何故、あんな所で命を落とす程の事故に遭ったのか、もう一秒早くても遅くても母の命は助かっただろうに、だが、それが交通事故なのだと思う。

先日の日曜日、まだ納骨を済ませていないお墓には見慣れない綺麗な花が飾られていた。恐らく運転をしていた女性と思われるが、その花を見ても嬉しくとも悲しくもない複雑な心境だった....。

赤色が母の同乗した車、黒が相手側(赤色の線は一旦停止)、母は相手側の車と電柱の間に挟まれたのだと推測する

誤解の無い様に断っておくが、私はこのHPで、こちらの正当性(過失割合の譲歩)を主張する為にこの日記を書いている訳ではない。過失はお互いだし、こちらに一旦停止や標識が無かった事は道路管理をする役所の責任もあるのかも知れないし、それを放って置いた地元住民の責任もあるのかも知れない(事実ここでは何度も事故があった様だ)。母の不幸が無駄にならない様に、町内会ではここに標識等の安全に対する設置を要求する様だが、それも見届けて行こうと思っている。

2001年11月5日

もう一つの別れ

何か、無性に部屋を片づけたくなった。

母の事がきっかけなのか、過去の自分と決別したいのか、「失恋して髪を切る」行為と似ているのかも知れないが、心機一転と言う感じだろうか。「旅に出る」事も考えた。「また、ロンドンへでも行こうか」とも思ったが今の自分にはそんな時間は無い、しかも今はイギリスよりアウトバーンを走りたい気分なのだ。

で、片づけていく内に、今まで捨てるに捨てられない物がいくつか出てきた。その一つは「Old MAC」だ。手元にあるのは「IIci」と「Q800」それに「アップル純正の15インチのディスプレイ」。もう一つSONYのディスプレイもあるが、それはまだ使えそうなのでとりあえず置いておく事にした。

何度かここでも書いたが「IIci」は元々「IIcx」の改造と言うかバージョンアップ物で、これを買ったのは上の子供のお産の時、妻が居ない事をいい事に「買ってしまった」物だ。純正ディスプレイとMIDIのコンバーターを入れて確か「86万円」だったと思う。今、これだけのお金でPCを買いそろえると結構な物が買える。だが、当時でもこれは結構な品物だった。

当時と言うと、今の息子が10歳だから10年前と言う事だろうか。あの頃、MACを買う前にソフマップの通販で「PC98-RA」を買おうとした事がある。だが、その日電話が繋がらなかったので、買うタイミングを外してしまったのだ。あの時、もし一発で電話が繋がっていたならば、その後は「DOS/V」コースを歩んでいたかも知れない。

幸か不幸か、その後「学会のスライド作成」と言う大義名分でMACを買った訳だが、妻は「もう当分買いません」と言われた記憶がある。あれから10年、随分大金を使った事になるが、今から考えると「良い先行投資」だったと思う。スライド作成はもちろんのこと、当時MAC版しか無かった「EXCEL3.0E」や「Power Point 1.0E」も使っていたし、「File メーカー」も「proの前身II」からの愛用者となった。

だが、一番多く使ったのは「パソコン通信」かも知れない、「Nifty」の会員数がまだ80万人ぐらいの頃だ。そのお陰で、沢山の方とお友達になれたし、今でも「インターネット上」で交友は続いている。それはお金では買えない出会いでもあった。

当時、「パソコン通信」イコール「オタク」と言うイメージがあったし「ハンドルネームでメールの交換している」と言ったら眉をひそめる人もいた。だが、その人も今や「携帯でメール」だ。全く、人をオタク呼ばわりして.......いやσ(^.^)はオタクか?

さて、そのMAC達も子供達のゲームマシーンとして子供部屋へ置いていたが、私の持つ「パワーブック」の方が速い事を知ってか、全く使わなくなった。何時か家を建てたら、この「Old MAC」達をずらりと並べてやりたい願望もあったが、使わないより使ってくださる人がいるならば、そこで第二のMAC人生を歩む方が幸せだろうと思い始めた。

本来ならば、ここで「欲しい人は手を挙げて」と募集しても良かったし「オークション」へ出すことも可能だが、梱包して発送しするのは面倒だし、今の私にはそんな元気は無い(済みませんsakiさん染谷さんm(_ _)m)............と言う様な事を友人I君に告げたら、早速「里親」を捜してくれた。で、先週の土曜日に持参した訳だった。

今まで、沢山の夢をありがとう「Old MAC」..........。

三台積んで
左Q800、右下IIci(cx改)
純正ディスプレイはソニー製(当時17万円)

 

改めて「IICi」を見ると「やっぱりこのデザインは良いな〜」と思った。ジョブスの息のかかった「ドイツはフロッグデザイン」の物。いや、ジョブスはもう居なかったか.....?

2001年11月2日

楽しくない買い物

プリンターを買った。

実は、今まで自分でプリンターを購入した事が無かったのだ。と言うのも自宅で印刷を必要といるする事が無かったし、大抵の場合、白黒だが職場のレーザーの方が速いし、簡単だったからだ。

家で使うプリンターと言うと「年賀状印刷」の需要が一番だろう。今までそれをやろうと思った事もあったし、昨年はそれにチャレンジをしたのだが、どうも借りてきたプリンタードライバが古くて上手く印刷出来なかった。しかも妻は「やっぱりプリントゴッコの方が速くて簡単」と言い出したので諦めたのだった。

実際、デジカメで撮った物を印刷する場合、専用紙やインクの事を考えると写真屋さんに出す場合とコスト的にあまり変わりはない。いや、少しは安くて自前で出来る事は良いのだが、そこまで写真を撮らないと言う現状もある。

で、何故プリンターを買ったかと言えば、今回母の事で色々な手続き類をまとめて印刷出来たら良いな、と思ったのだ。いや、やらなければ行けないのだ。そう思ったら「買い時」だろう。早速、仕事帰りに何時もの「ヤマダ電気」へ寄ってみた。

プリンター(インクジェット)と言えば「エプソン」か「キヤノン」だろう。他にも玄人好みの「HP」とか「富士通」とかもあるが、店頭に並んでいる量から言えば前者二つだ。一応、カタログを貰って大体の情勢を分析した(と言うほど大げさではないが)。

結局、綺麗高画質でデジカメとかの印刷ならば「エプソン」、白黒簡単印刷とか「スピード重視」をするなら「キャノン」と言った感じだろうか。「HP」もインクタンクが大きくランニングコストが低いので、ちょっとだけ引かれたが(特にMACユーザーは)、店員も勧めはしなかったし、ネット上でも「ハガキ印刷がいまひとつ」なんて書かれていた。やはり、日本の需要を考えると国産が一番だろう。

で、結論から言えば「キヤノン」の「S300」と言うタイプにした。どうせ、使うのは今回が主だろうし、今年は「喪中はガキ」だし、来年となるとまた安くて速くて綺麗なプリンターが出ると思えば、今は安くて使わない時もコンパクトに置いておける物が良いと考えた。

ヤマダ電気」では「広告の品」と書かれ「13665円」に「さらに値引きします」と書かれていた。他店の広告だと「14800円」ぐらい。これもきっと言えば安くなると思うが、今回はそんな元気も無かった。

一応買う前に、もう一店回ってみたが価格的には「ヤマダ電気」の勝ちであった。だが、二日前には「今はUSBケーブルが付きます」と言われたが、昨日勝った時には「別売りです」と言われた。価格は同じだったが、ちょっと損をした気分(大した額ではないが)。

普通なら、買って直ぐに開けて色々と試してみたりするのだが、未だ箱も開けてはいない。きっと買うきっかけが今回の母の事だったから、買ってもあまり嬉しくは無かったのだ.....。

ヤマダ電気にて
未だ後部座席に乗せたまま....未開封

 

USBケーブルは家にあったはず、と思って探したら「A-Bコネクタ」だった.........あ、これで良いのか? そろそろ箱を開けてみよう。

2001年11月1日

突然の別れ............母の交通事故(その3)

一生の内、お葬式をする立場になる事は、そう何度も無いだろう。

だが年齢的に、そろそろ経験してもおかしくないと思っていた。これを読んでいる方も、いずれは喪主として、あるいは葬式を開く側になる方もおられる思う。「縁起でもない....」と思うかも知れないが、私自身避けて通っていた分、いざというときは随分あわてた事でもある。

さて、病院に何時までも居るわけにも行かない。担当看護婦からは「こちらでお車をご用意しましょうか」と言ってくれた。普通、病院で死亡した場合は、一端自宅へ帰りる事になる。その時、大抵の場合は病院に出入りしている搬送業者へ依頼するのだ。で、そのままお通夜・葬式となるのだが、最近では住宅事情もあり近くの「葬祭場」でやる家もある(搬送業者イコール葬祭場となるケースが多い)。

父の場合もそうであった。自宅で出来ない訳ではないが、遠い親戚や駐車場の問題などを考えると多少の費用は掛かっても「葬祭場」でする方が安心だし色々な面で楽ではある。母も、その事を知ってか生前より冠婚葬祭に使える、いわゆる「互助会」の会員になっていた事は知っていた。

だが、そこの連絡先が解らない。とりあえず「時間を下さい」と言って母一人を残し実家へ戻った。どっちにしても病院から帰ってもよい様な準備をしておかないといけないのだ。

自宅に着いても誰も居ない.........。

部屋はきちんと片づけられており、家を出るときに出していたアイロンがそのままになっていた。「さっきまでそこに居たんだ....」そう思うと、一人になったせいか、今まで押さえていた感情が溢れ出た。泣きながら、帰って来た時に寝かせる布団の準備をし「葬祭場」の連絡先を探した。だが、見つからなかった。その時は少しパニックになりかけていた。母が亡くなったと言うのに、誰も来ない。一人でどうしたら良いのか........。

そう悩みながら、とりあえず用意だけは出来た。再び病院へ行くため玄関を出たら隣のおばさんが車の洗車をしていた。「こんにちは」とにこやかに挨拶をして来たが、母が交通事故に遭って亡くなった事を告げると驚いていた。毎日顔を合わせて親しくしていた間柄だったが、今朝の事はやはり知らなかった様だ。

とりあえず、そのおばさんに鍵を預けて病院へ向かった。結局、病院からの搬送は出入りの業者に任す事にして連絡をしてもらった。待っている間に、私の友人や先輩が心配して来てくれたので、再び冷静となった。いや、心の中で溢れ出る涙を外に漏らさない様に、大きな壁を作っていたのだ。

と、そこに担当看護婦が「事故を起こした相手の方がお会いしたいと来られてます」と告げに来た。

待合いに出てみると、初老の男性と若い女性が待っていた。私が近づくと「どうも済みませんでした.....」と、喉からふりしぼる様な声で言った。こう言う場合、どう対応すれば良いのか。ドラマの様に「母を帰せ」なんて、罵倒を浴びせる気分ではないし、何度も何度も頭を下げられても出てくる言葉は浮かばなかった。

加害者の辛さも十分すぎるほど解る。「これも運命なんでしょう....」と、か細く言った様な気がする。だが、加害者と言われたが、実は車に乗せてもらった人だと解った。事故の原因を聞くと、母はこの若い女性(同乗した友人宅のお嫁さん)の運転する車で信号の無い交差点を進行中、(恐らく左)から来た車と衝突。その弾みで電柱にぶつかったらしい。

だが、それでも納得は行かなかった。事故現場を見てみたい気もしたが、それはずっと後の事になった...........つづく。

 

再び、あの時の事を文章にすると、少し違った感情になります。あの時から二週間近くしか経っていないのに随分昔の事の様にも思えます。こちらの生活も段々と慣れ、再び普通の生活へと戻って来ましたが、今朝は母の夢を見ました。心の底ではまだ忘れられない出来事なんでしょうね。

暗いなー、済みませんm(_ _)m。本当はテレビとか見て結構笑っている時間も多いのですが.....。