Aクラスと暮らす ほぼ毎日書けない日記

2000年9月

  Tidy & Cozy

w-168A story of A

 

 


   

2000年9月29日

電子ブロック

びっくりしたねー。

電子ブロック」のHPがあるなんて、しかもまだ(電子回路実習用で)売ってたなんて。これは、「プリズナーNo6」のHPを見つけたぐらいの驚きと懐かしさだった。しかも長い間記憶の彼方にあった、出来事が走馬燈のように蘇って来たのだ(うーん、なんか70年代フォーク風フレーズ)。

で、その「電子ブロック」。恐らくお若い方はご存じでは無いと思うが、トランジスタや抵抗が一つ一つケースに入っていて、それを組み合わせる事によって、ラジオやトランシーバーなど、電子回路が組める科学玩具としておもちゃ屋で売っていたのだ。

だが、それは高嶺の花だった。昭和40年発売当時の値段は¥9,800。当時の初任給が4〜5万円の時代だから、当時の鼻たれ小学生だった私には、とても買えない「おもちゃ」だった。だが、そんな私に思いも掛けない出来事があった。「少年キング」の懸賞で、この初代電子ブロック「DR-7」が当たってしまったのだ。

だが、まだ小学校低学年の私には、抵抗やコンデンサが何をする物か解らないまま、試しては壊しを繰り返している内に、壊れてしまった(7Tr.〜3Tr.ラジオ/周波数変換回路/電力増幅器/ドアホーン/モールス練習機/水位報知器/低周波発振回路・・・など実用22回路)。

それから何年か経って、友達の林くんが誕生日に新しく電子ブロックを買ったと言うので見行ったら、それは「DR-7DX」(DR-7の実験内容を充実させた超高級品でトランシーバー/ラジコン送受信機/フォトリレーなど実用60回路¥19,800)と言うアップグレード版だった。その頃は抵抗やコンデンサの働きが何となく解って来た頃だったので、彼の電子ブロックがとても羨ましかった。NHK教育の「みんなの科学」や雑誌の「模型とラジオ」「初歩のラジオ」「ラジオの制作」なんてみんなで見ては、あれこれ作って盛り上がっていた。

その翌年ぐらいだっただろうか、電子ブロックのシリーズに新しく電子ボードと言う物が出た。今で言うスケルトンになって中の素子が見えるのだ。しかも、最大150回路も組めるのだ。「これは買うしかない!」と思ったが、当時でも¥9,700と高価な物だった。だが私は諦めなかった、その月のお小遣いから無駄遣いは止めてコツコツと貯め、一年後にやっと買った事を覚えている。

あ、今と変わらないなー.....欲しい物は絶対手に入れるって(ローンもあるけど(^^;)。

初代DR-7 二つ折りになっていた
電子ボードSR-4ADX 150回路
一番ヒットしたEXシステム。

¥17,400(181回路)

電子ブロックは、その後学研にOEMしたりして当時の科学少年達に夢を与えた。だが、その後カード型ゲームやファミコンなどに押されて、今は子度向け玩具として店頭では売られていない。しかし、今月になって新たにPC上で電気回路をシュミレーション出来る「バーチャル電子ブロック」が発売された。

世の中すっかりアナログからデジタルだけど、当時電子ブロックで遊んでいた小学生が、今のコンピューターやIT産業で頑張っているんだろうなー...林くんも。

   

2000年9月28日

父と娘の会話

先日の遠出の帰りの事だった。

倉敷の実家から高松へ向かって帰っている途中、後部座席に居た娘(6歳)が言った......

娘「ねー、帰ったらサザエさん見られるかなー」

私「え?もう終わってるよ、もう両津(こち亀)をやってる時間だよ」

娘「じゃ、両津終わるまでに着かないの?」

私「着かないよ、まだ一時間以上はかかるよ」

娘「つまんないなー........」

「..........この前テレビが付いてる車に乗ったよ(友達の家の車らしい)」その時私は閃いた、娘から妻に車に付けるテレビを買う事を賛成してもらい冬のボーナスで買おう。勿論テレビだけでは無い、そこはこっそりとナビも付けるのだ。このさい車速パルス無しの(精度の上がった)GPSオンリー機でもいい、妻の車に載せ変え可能なタイプなら文句は無いだろう。で、

私「じゃ、この車にもテレビが付いていた方がいいよね、買おうか?」

娘「...........ダメだよ無駄遣いしたら、この車買ってもうお金無いんだから」

私「ドキ!.........(何で知ってるんだ)」

娘「お父さんは車や、パソコンにお金使いすぎだよ」

私「..............さ、早く帰ろう」

宮島SAにて............ここは瀬戸内海が見渡せる展望台や広い公園がある

娘「お父さん、車運転するの好き?」

私「好きだよ」

娘「お母さん嫌いだって、街中行くの」「あと、料理作るのも嫌いだって」

私「(そうかやっぱり.......)と心の中で舌打ちしたのである。」

ナビってまだ過渡期の商品(コストパフォーマンスが今ひとつ)だと思う。昔30万円かけて98と一太郎使っていた時代に似てるかな?誰もが買って使える時代はそう遠くは無いと思うが、せめて今のパソコン程度の値段と使える物にならないと買えないなー(........と思っておこう)。

   

2000年9月26日

燃費は過去最高

ガソリンを入れた。

先日の遠出で、走行距離は648.6km、給油は44.57Lと燃費は「14.6km/l」を記録した(9割以上はエアコンオン)。勿論過去最高である。

実は、高速走行にそなえ空気圧を少しアップしておいた。普段は乗り心地と燃費を考えて何時もは前後共2.2程度にしている。これは納車して一ヶ月経った頃だろうか、空気圧を最大積載時の前輪2.2、後輪2.6を入れてしまい凄く乗り心地が悪くなった事を経験しているからだ。

当時は、あまりにもゴツゴツした感じが出て、Aクラスに乗る事が嫌になった時期があった。納車当時の走行距離がまだ延びていない頃の話だ。だが、この一年と四ヶ月で車も初期の堅さは抜け、走行距離も15000kmと一番美味しい時期に入った。

それでは、と今回は前輪2.2、後輪は子供一人しか乗らないので2.5位に止めて置いた。実際の走行は思った通り以前の堅さは全く無く、高速走行時はとてもしなやかで適度堅さとなった。一般道でも以前経験した不快な堅さは感じられなかった。

以前Sモードで高速走行後にATり具合がとても良くなったと感じたが、今回はずっとWモードで走ったが、ATの変化は感じ無かった。やはりSモードでの高速走行後は一時的にWモードになるのでは?と思っている。

違うかも(^^;)??。

空気圧はいつものセルフ店で
走行中に15000km突破!

   

2000年9月25日

初めてのお使い

遠出をした。

お彼岸の墓参り」に倉敷の実家から山口まで、往復約500km以上の旅だった。思えばAクラス購入以来、一番遠い所である。

金曜日の夜に倉敷まで帰り翌朝出発した。σ(^^)の親戚のほとんどは山口にあるので、小さい頃からよく車で行っていたが、まだ高速道路が無い頃は国道二号線を通って、確か約7〜8時間かかっていたと思う。

中国縦貫道が完成しても約5時間かかり、車で往復するにはとても遠い場所の様に思っていた。翌朝は朝早く出掛けようと思っていたが、iモードで調べてみると高速道路の所要時間は片道約3時間16分と出た。「山陽自動車道」を通ると案外近いのである、しかもこれは平均時速は80km/hで計算されている(たぶん)と思うので、休みなく走りづけると、3時間以内で行けると思うし、走行距離は片道260.7kmと出ていることから、時速260km/hで走ると1時間で着く事になる(そんなスピードは出ない)。

そんなに時間が、かからない事が解ってから、朝はゆっくりと出掛ける事にした。

天気は、時々雨のパラつく程度で心配した雨は少なかった。しかし、この山陽自動車道は、やたらトンネルが多いのだ。だから頻回にライトの点滅の為、腕を伸ばし、少し体を前屈みにしてスイッチを回したり戻したりするのは面倒だった。ドイツ車はこのダイヤル式のライトスイッチが一般的だが、トンネルの少ないヨーロッパなら安全性優先だが、あまり頻繁にスイッチ操作をすると、かえって危険だ(いやトンネル内ではライトはOFFでもよい??)。

一泊して翌日ゆっくり帰ったが、やはり思ったより早かった。高速長距離で疲れないのは、比較的静かな音と振動だ。国産大衆車では、120km以上出すと、エンジン音・風切り音の大きさとハンドルの振動で、たとえそれ以上スピードが出るにせよ、恐怖心が先に立ってそれ以上アクセルを踏む事を躊躇したしまう。

だが、Aクラスの場合100kmでの巡航は、遅く感じるし気が付けば120km/hで走っている。だからちょっと追い越ししたりすると知らない間に「ぬうわ」や「ぬえわ」ぐらいあっと言う間に出てしまう。Aクラスでもこの程度だからもっと高価な車にだと、きっと眠くなってしまう気がする。

家へ帰って、助手席に座っていた母親が一言「この車だと本当に楽だわ」と言った。岡山・山口間、通い続けて三十年以上、しかも「国産大衆車、助手席歴」ベテランの母親が感じるのだから、本当なんだと思った。

私自身、父の代わりに「お彼岸に墓参りでも行こう」と言い出したのは、これを試したかったからである。

下り車線371.8kpループコイル方式のオービス
上り車線307.8kpループコイル式のオービス
バスジャック犯人捕まった小谷SAにて(矢印がA)

   

2000年9月21日

柔道一直線だった頃

オリンピックの柔道で「吉田秀彦」選手が負傷した。

内股」をかけられ、右手を畳について脱臼したのだ。私はテレビで、これを見て「あの日の事」を思い出した、それは中学一年生の時の事だった。

当時、テレビで「柔道一直線」なんて番組がオンエアされていた頃で、メディアに左右されやすい田舎の中学生だった私は、中学校入学と同時に何の躊躇も無く「柔道部」に入ってしまった。同じ様な軽い乗りの友人も多く、今思えば柔道みたいな汗くさい競技が格好いい時代だったのだ。

だが、そんな不純な動機で始めた私達に、初めての公式試合「新人戦」がやって来た。まだ、受け身も不十分ながらも、とりあえず新人全員が出場した。行った会場は異常な熱気に包まれており「テレビを見て柔道やりました」みたいな、ミーハー選手は我々の学校だけだった。

そして全員が緊張する中、背の低い順で戦って行った。二人戦い、二人とも負けた所で私の番がやって来た。何が何か解らないまま、頭の中では、「地獄車」とか「ライナー投げ」を想像しながらも、本当は未熟な技をかけながら戦っていると、突然あの「内股」をかけられた。

倒れ込む瞬間、私はとっさに左手を畳に着け、後ろに受け身をしたのだが、そのまま相手が覆い被さって来た為、左腕が背中の方に回ってしまった。「一本それまで!」で、私の初めての公式戦はあっと言う間に終わってしまった。一礼して、脇へ引っ込んで友達の試合を見ていたが、左腕が段々と痛んできた。その後、痛みが消えないため顧問の先生に言うと「左腕を上げてみろ」と言われた。だが、腕は上がらなかった。

それから直ぐに、英語の原田先生とタクシーに乗り、学校近くの病院へ行った。

骨折だった」しかも左腕を脱臼していたのだ、腕が上がらないはずだ。テレビで吉田選手の苦痛の姿を見ていると、あの日の痛みを思い出した。

だが、一番痛かったのは、それが「夏休み初日」だったと言う事だ......(>_<)

もうすぐ15000km.....本文とは関係ありません、ね

それから一ヶ月半、私は夏休みをベットの上で過ごすことになった(この間にも色々と災難あり)、やっと退院した時は新学期が始まる前日だった。

それから、一ヶ月ぐらい毎日学校が終わってからも、その病院へ通っていた。丁度今頃の時期だ、家から少し遠いその病院へは何時もバスで通っていた。治療が終わって、本数の少ないバスを待つ時間は長かった。

ある日、バス停の前に赤いスポーツカーが止まった。当時、田舎にそんな派手な車は少なかったので良く覚えている。「この車に乗せて貰ったら早く帰れるのに」そう思っていたら、その車のラジオから「彼の車に乗って、真夏の海を〜♪♪」と流れてきた。

何故か柔道の試合を見ると、この歌を思い出す。

あれは、誰の歌だったかな.....。

しかし、柔道は中学校三年間やり続けた、が黒帯までには至らなかった。だが、高校に入っても格技体育で柔道をし、受け身のテストで100点満点を取った。結局これが怪我の代償って事か?

   

2000年9月20日

ちょっと盗作くさい?

洗車した。

いや、正しくは「洗車してもらっていた」だ。ヤナセに点検から戻って来たら綺麗になっていた。そう言えばもう一ヶ月以上洗車はしていなかったのだ。それに気が付いたのは、月曜日の朝、駐車場に車を止め車から降りて二三歩歩き、振り向きざまにリモコンでドアロックを掛けた時だった。

ふと見ると「綺麗な空がボディーに写り込んでいた」。

そこで一句。

 

洗車してもらって」じゃ字余りだもんな。

秋だなー......。

   

2000年9月19日

忘れられない思い出かなー.....

台風一家

と誤って変換すると、何故か「逆噴射家族」を連想するが、「台風一過」と書くと、朝の冷たい空気と高い秋の空を連想する。

日曜日はそんな天気だった。

我が家は台風一家でも逆噴射家族でも無いが、日曜日の朝は子供達の通う小学校の「運動会」のため、朝早くから慌ただしく「お父さん何時まで寝てるのよー」と娘に起こされてしまった。

眠い目をこすりながらも「DV、デジカメ、携帯」のデジタル三点で身を固め、開始の午前9時前には小学校に到着した。既に、沢山の親達が、ビデオやカメラのセットに余念がない。三脚なら良いが、ゴール地点に脚立を立てて準備するオヤジまで居る「力が入っている」。だが、それらの人達は低学年の子供達のいる親たちだ。高学年ともなると「今更ビデオに撮ってもねー」と言う感じでカメラ類が一挙に減る。

だが、一眼レフのカメラが多いのは以外だった。しかも望遠付きの物を首からぶらさげている母親が多かった、父親はビデオ役なのだろうか?。ビデオと共に写真も捨てがたい物があるが、デジカメを持っている人は見かけなかった。ま、高性能のデジカメでない限り写真の様に手にとって後から見るには今ひとつの媒体なのか、HPに掲載する様な人達でない限り、デジカメはまだ市民権を得ていないのかも知れない。

なんだかんだと言いながら、親子綱引きに出たり、玉入れに興じたりと昼食を食べるまで、ほぼ半日立ちっぱなしだった。しかも久しぶりに太陽の光を浴びたせいか、お昼過ぎに家へ帰る頃にはすっかり疲れてしまった。結局、午後から行こうと思っていたヤナセの「AMGフェア」はパスしたのだ。

しかし、それは景品が今ひとつだったからかも知れないなー........(サングラスケース)。

いい天気
親子で玉入れ...小さな幸せ

昨年の日記を読むと「やがてDVD-DVなんて発売されるかも知れない」なんて書いているが、予想通りそれは日立から発売された。

来年はHDビデオカメラが発売されているかも?.....SONYか??

   

2000年9月18日

プラセボ効果?

Aクラスが退院した。

修理点検の内容に関してはAクラスが戻って来る少し前に、ヤナセのサービスから電話で説明があった。ちょっと、忙しくしていた時だったから記憶が定かでは無いのだが、修理は3カ所だった。一つは「エンスト」の件で、預かった期間で色々と試してみたが結局エンストは無かったそうだ。そりゃ三日じゃ出ないだろうと思ったが、とりあえず「何とか」と言うコントロール部品を交換したそうだ。何だったのか今でも思い出せない。

それで終了かと思ったら、以前ラメラールーフの内装ゴムの部分のコーナーが切れかかっていたクレームを出していたが、これも交換したそうだ。この修理の話は聞いていなかったが、一年点検の時「部品が揃えば交換します」との事だったので、ずっと前から届いていたのかも知れない。

それだけだと思っていたら「ハンドルを回したときの不都合も直しておきました」と言われた。「あれ?そんな不都合は言った覚えが無い」のだが、これって良く聞く不都合で、知らない間にそうなっていたのにσ(^^)自身が気づかなかったのか?それとも、全国的に密かなクレーム直しなのか?良く解らないが、直しておける所は直してもらって損は無い。

一連の修理内容を聞いた後、三十分程で私のAクラスは戻っ来た。代わりに通勤時間に楽しませてもらった「ベクトラワゴン」は帰って行った。この三日間、アクセルを踏むとグイグイ引っ張ってくれるので、何度もアクセルを全開にしてみた(だから試乗車は買えない)が、結局高速道路を走る機会が無かったので、少し乗り足りない気分だった。

さて、三日ぶりのAクラスだが、ベクトラの走りに慣れつつあったので、Aクラスに乗ると「やっぱりかったるいな〜」と感じると思ったが、それが結構静かでソフトな走りを実感する事になった。

ベクトラが「ゴーゴーと地を這う男性的な走り」だとすると、Aクラスは「雲の上を走る女性的なふんわりとした感触」だった。結局どっちが良いかと言うより「それぞれ個性なのだなー」と思ったのだ。

さて、ハンドルを回すと何だかスムーズな感じが(明らかに先入観あり)、そしてエンジンの回る感触も滑らかな感じが(やっぱり主観的)した。修理点検から戻ってくると、何だか全てが一新された感じがするが、それは本当に良くなったのか、気のせいなのか....?

これを医学の世界では「プラセボ効果」と呼ぶ、例えば血圧の薬と称して実際はメリケン粉の固まりを飲ませても、その内2割ぐらいの人は実際に血圧が下がるのだ。

私もその一人かも知れないが、ヤナセには良いお客かも知れないなー.......。

ここが切れていた所
綺麗に直っている
でも、ここがちょっとたるんでいる?
ここがつなぎ目か
これ何?
ベクトラも捨てがたい...

   

2000年9月14日

すみませんm(_ _)m

先週の話だ。

朝日新聞、朝刊を見て妻一言。

いい車から、いい男が出てきても、インパクト少ないよー

何を言い出したのか、その新聞広告に目をやると.....

ばーん! と全面広告

............であった。

「お、Sタイプだ。おまえの車の隣の隣に止まっているジャギュァーじゃないか」と私。

「こう言うのより、頭だけロバのかぶり物をして出てくるとかしなしい面白くないよ」と妻。

「私だったら、坂田とし夫を起用するな、面白いでしょ」と、続けざまにまくしたてる妻。

「そーかなー」と私。ちょっと違う様な.....

ふっと目を下にやると......

← ここ

これってAクラスの事?

と、その直感はあたったかも.......。

   

2000年9月13日

ベクトラとアストラって何かが違うの?

Aクラスが入院した。

と、言ってもたった2回のエンストの原因を一通り調べたいと言うのだ、決して私がヤナセに詰め寄った訳ではない。ただ、原因がはっきりしない以上また起こる可能性もあるし、それがケア終了後に部品交換なんてなると困るので、転ばぬ先の杖と言う訳だ。

お昼過ぎ、担当営業マンより電話が入り「代車はベクトラです」との事だった。「はて、アストラとベクトラ、何がどう違うのだっけ?」と考えていたら30分後、職場の受付へサービスがやって来た。駐車場へ行くと私のAクラスの隣にはグリーンのベクトラワゴンが既に置いてあり「では、これです」と車のキーを渡された。

それで終わりかと思ったら、その場でなにやら書類にサインを二つ求められた。よく見れば「自動車借用証」と書かれていた。しかも借用時の走行距離まで記載されている。今までいろんな代車を借りたが、借用証まで書いた事は無かった。だが、ヤナセではこれが普通なのか、ひょっとしたら以前何か問題でも起こったのかも知れない。

ただ「他人に貸すなとか、事故ったら責任取ってね」と言う内容だった。ま、当たり前の事だが慣れない車なのでちょっと緊張する。しかも私の苦手なワゴンだ。結局「ベクトラワゴン」名前は知っているが、全く興味は無いので「アストラ」との違いをオペルサイトで確認したが、今ひとつ解らない。出来たら「ザフィーラ」の方が良かったな、などと考えながら午後の仕事を忙しくこなしていた。

さて、帰る時間となった。

キーはAクラスと同じ内溝キーだが鍵の部分が収納されないので少し大きめに感じる。早速リモコンでロック解除すると「ガチャ!!」と大きな音を立てた。普段Aクラスの音のしないロックに慣れていると、正直「ちょっと安っぽい?」と感じてしまった。

早速乗り込み「ドスッ!」とドアを閉めるとドイツ車特有の重量感と剛性感を感じる。「このドアの開け閉めだけでドイツ車に魅了された人いっぱいいるんだよなー」と感じた。インテリアはブラックで統一されたオペル車そのもの、悪く言うと素っ気ない。そう考えるとAは未だ遊びがある感じがする。ただ、いろんな所にダイヤルや表示があって、何が何だかちょっと理解するのに時間が掛かる。キーを回しエンジンスタート。ギアをDレンジに入れて.......とまるで教習車の様な発進となった。

ゴー」走り出した時の感じは「ウルサイ」であった。だが、Aに比ATは正常(?)でありトルクフルだ。ま、普通こうだよな、と思うと同時に「何だか日本車みたい」と思ってしまった。

でも、その感じが「運転している」と言う実感を与えるのかも知れない。バックで自宅の駐車場へ止めたが案外素直に入った。後ろが長いので慎重にバックしたが、だいぶ余っていた。「ちょっと緊張」でも楽しかった。「良く走るのだろうなー」と思ったが、きっと一生買う事は無いだろうと感じた。

よし、明日は高速走行だ。

あれ(^^;)。もう、すっかりAクラスの事は忘れていた。

ちょっとブタなキー
見た目は長いが運転はしやすい
平凡なスタイルの中の唯一のデザイン
うーん、オペル車だ
色々と表示が出るが良く解らない
ライトは同じだがダイヤルが多く一瞬迷った

   

2000年9月12日

Wは悲劇?

プログラム・モード・セレクタを「Wモード」にして二ヶ月が過ぎた。

経過報告と言う事で、とりあえず燃費をまとめてみた。Wモードに替える直前のSモードオンリー時では、通勤主でエアコンほとんどON状態だった為か、「過去最低の9.36 km/l」だった。次ぎに燃料計半分からWモードに切り替えたら「10.00 km/l丁度」に、そしてオールWモードでは「10.03 km/l」と僅かに上昇した。

そして、先日の日曜日で「10.28 km/l」とSモード時に比べ約1 km/l弱の改善となった。これからは、エアコンオフが多くなると思われるので、多少は延びるかも知れないが、夏場のエアコンオン状態での通勤燃費は大体10ちょっと、と言う所だろう。でも週一で100 Km走っていた頃に比べと、やはり毎日通勤オンリーだと約1〜2 km/l低い値だ。

Wモードにすれば燃費が多少改善される事は解った。だが、改善されたのは燃費だけでは無い。乗り心地の方だが確かにシフトショックは少なく感じる。と言うより一速の引っ張りが早めに終わるので、そう感じていただけかも知れない。

ただこのWモード、坂道は苦手だ。長い急勾配が続くとベタ足になってしまい、終いには失速しそうになる。停車時でも急勾配だとクリープも負けてしまうらしい。だが、毎日の通勤が主で比較的平地しか走らない分には、全然問題は無い。当初「きっと、このかったるさにSモードに直ぐ戻ってしまうかも」と思っていたが、結局二ヶ月経っても戻さず、そのまま使っている。

恐らく、この先もずっと「Wモード」を使う気がするが、一番良いのは臨機応変。必要に応じてSモードに切り替えば良いのだと思う。ただ、走行中に換えても良いのか、営業マンに聞いてみたが「あまりしない方が.....」と良く解らない返事だった。

今朝は久しぶりに「Sモード」で走ってみた。出足こそ、ゆっくりアクセルを踏めば変わらないが、中間加速時には「おお、トルクあるなー」と実感出来る。シフトショックにしても、「じわー」と踏み込めばSモードでも異常に引っ張ったりしない。

出足はゆっくりと、焦らずに安全運転でね(女性の声)」そう車から毎日諭されている様だ.........。

日曜日いつものセルフの店、後ろは虹
エアーを入れると、必ず指が真っ黒

   

2000年9月11日

秋の気配

今度は、洗濯機が壊れてしまった。

白物家電の三種の神器の一つである「洗濯機」である。その時の妻のあわてぶりは、まるで死活問題の様に大騒ぎだった。「まぁまぁ」となだめて色々とやってみたが、途中で排水せず脱水が出来ない状態だ。終いには、ちょっとバラしてみたが、どうもセンサーが壊れている様だった。

この洗濯機は、上の子が産まれた時「おむつの洗濯が大変なのよ」と泣きつかれ、まだ使えた物を破棄し、ちょっと大きめの5.5Lタイプを購入したのはもう9年も前の事だった。家電の耐久年数は約10年だし、子供が大きくなるに従って洗濯量も増えてくるので、このあたりでもう少し大きい物に買い換える事にした。

早速土曜日、仕事の帰り道にあるダイエーバンドール店に寄った。

例によって、購入機種選択は全て私に任されていた、だが洗濯機の知識はゼロである。前機は「ファジー」流行の頃で、やたらと機能豊富だったが、今回はそんな装飾機能より洗濯機能重視なシンプルで7Lタイプの物を探す事にした(しかしファジーは何処へ行ったのだ)。幸い、モデルチェンジ時期なのか、旧製品が半額以下で限定販売されている。しかも、日曜日は5%オフである(ラッキー)。

で、日曜日の昼下がり。

ゴロゴロと何やら雲行きの怪しい中、雨が降り出す前にと、急いで出掛けた。だがマンションのエレベーターで下りる途中突然停止、停電だ。「このままここに缶詰?」と思っていたら数分後「しばらくお待ち下さい」のアナウンスの後「スーッ」と次の階で止まった(安心)。だが、停電はそれだけでは無かった。ダイエー到着後、店内で洗濯機、選択中(シャレになっている)またもや停電。店内真っ暗になってしまった。

そんな事もありながらも、無事に希望機種を購入(ちなみにエアコンと同じ三菱製)。通常価格5%オフに加え、ここ高松市は現在渇水対策の一環として、お風呂の水が吸水出来るタイプでは一律5000円の補助が市から下りるらしい(今年の8月から12月まで)。「いい時期に壊れてくれたもんだ」と思っていたら、今だけ「購入金額1万円に付き200円の商品券」が、しかも昨日ダイエーホークスが勝った為、その倍のサービスが付いてきた。

そう言えば、知らない間にダイエーホークスのマジックも点灯していた、もし優秀すると昨年同様大セールをするらしい。

よし今日からホークスファンだ!

突然止まったエレベーター
暗闇の店内
ホークスがんばれ!
虹とAクラス

店から出て、ラメラーを少しだけ開けて車を走らせながら上を見上げると、空高く秋の雲が風に流されていた。

そして東の空に大きな虹が.....久しぶりにオフコースの「秋の気配」が聞きたくなった。

   

2000年9月8日

はかない夢

そう言えば。

宝くじの当選番号を確認するのを、すっかり忘れていた。それはサマージャンボだったか、グリーンジャンボだったか、とにかく前後賞会わせて3億円のやつだ。今回は、結構期待していた。実は、購入したのは横浜へ出張した時(オフ会した時ね)に横浜駅の地下(どっち側か忘れた)の宝くじ売場で購入した物だった。

そこは、何でも県内で一番当選クジが出る所らしく、販売と同時に警備員が整理に出ていた所だった。なにげにそこへ立ち寄ったのかと言えばは、国際会議場行きのバスターミナルを探すために、地下をウロウロと迷っていた時なのだ。

そこで私は閃いた、これはひょっとして神様が「これを買ったら必ず当選するぞ」と、天使のささやきが頭の隅でした様な気がして、思わず列に並んでしまったのだ。だが不思議なことに、その売場の窓口は沢山あるのにも関わらず列が出来ているのは三番の窓口だけで、他の所はまばらだった。「きっとこの番号で買うと当選する確率が高いに違いない」益々期待が高まる、そう思って10分ぐらい待ち、念願の宝くじをやっと購入した。

よし!」なんて、握り拳でガッツポーズをしたり............。あれから、もう何ヶ月だ?

すっかり、宝くじの事など忘れ、横浜へ行った事は遠い昔の様に思えていた昨日、「そうだ、当選番号を確認しなければ」と思い立った。実は、最近は、宝くじの当選番号を発表の日の翌日新聞で一枚一枚確認する様な事はしなくなった。次の宝くじを購入するまで、「当たったら、あれを買おうか、これを買おうか」と、一人ニヤニヤする時間を楽しんでいるのだ。

で、番号確認は、宝くじ売場へそのまま持って行き機械で確認してもらう。この方法は以前5万円当たった時「どうせ当たっていないだろう」と思い、機械ではじき出された結果「お、お客さん当たってますよ!!」と言われた、あの感激をもう一度味わいたいのだ。出来れば「お、お客さん3億円当たってますよ!!」と言われたいのだ。

交換する場所は以前から決めていた。それは近所のSATYの宝くじ売場だ。ここは最近立て続けに一等前後賞が出ている。当選者は近所に住む22歳の看護婦で宝くじが当たって、さっさと仕事を辞めた話は有名だ(どこまで本当かは知らないが)。

それで、今度は私もと宝くじ売場へ急いだ。「これお願いします」とさりげなく言う。こう言う場合は「無心」でなければならない(何でだ?)。じっと機械が止まるのを待つ、待つ、待つ......。

お客さん3枚当たってました」そら来た、3億円か?ドキドキ!!

じゃ900円です」............。

SATY屋上駐車場にて

妻にはナイショで買ったので当たったら驚かそうと思ったが、それはダメだった。その事を話したら.......

あなた、今年はついてない年だから宝くじはやめなさい

だった。

   

2000年9月6日

おやじが作るシートカバー(その1)

子供がシートを汚した。

それも「チョコレート」をべっとり付けていたのだ。あわてて、掃除をしたが未だシミのような物が残っている。

以前も書いたが、後部座席には汚れない様にオートバックスで売っていた子供用のシートカバーを着けていた。だが、このカバー左右の長が少し足りないので完全なカバーになっていなかったのだ。そう言う所に限って、子供は汚してしまう。ま、最初に「皮シート」を注文せずケチった私が悪いのだが...。

そこで、もうそろそろ、ちゃんとしたシートカバーを買おうかと色々と調べてみた。

そりゃ、オーダーメード本皮シートって言うのが一番しっくりきて、綺麗だし少々子供が汚しても手入れは簡単だと思うけど、軒並み30万円はくだらないですからね、中には皮シートって言うカバーにする物もありますが、それでも確か12万円ぐらいした様な気がするなー。

結局、普通のシートカバーで良いんです。

Aクラス用のシートカバーは一応、ここで入手出来るらしい。以前オフ会で見せて貰ったTakuyaさんのシートカバーは、ここの製品だったと思う。Aクラス専用だから、ぴったりして、とても綺麗だったが確か7万円程度したとか、しかも注文から一ヶ月以上はかかったそうだ。

で、一番安いので48000円。でも事前に現物は見られないので、ネット上の写真だけで選ぶのはちょっと冒険だ。よくよく考えるとオートバックスなどに売っている国産車向けの製品に比べ結構高い。

他にないかとインターネットで調べたら、オーダーメードのシートカバーを取り扱っている店は結構ある。だが、既にAクラス用の物を作った所なら良いが、形が無いと採寸してもらわないといけない様だ。そうなると、どうしても本皮か高級合成皮などにしないと勿体ない気もする。目的は、汚れなければ良い程度で、出来れば明るい色にしたいのだ。

そこで、膝を「ポン」とたたき、思い立った。

シートカバー」を自分で縫えないだろうか? と言う事だ。実は、以前パジェロミニのシートカバーを作ろうと、手芸店で車のシートの型紙を売っているのを見つけ、妻が作ろうとしていた事を思い出したのだ(結局作ってはいない)。

ま、綺麗とは行かないまでも、やって出来ない事では無いと思った。と言っても私は洋裁やミシンの経験はほとんどない。でも、「形を取って、布を切り、縫うだけでしょ?」と安易に考えているのだが...........果たして可能なのか?

昨夜、その事を思い出して、以前買った型紙を参考にしょうと探したが何処にもなかった。妻曰く「どっかに行った」だった(; ;)。ここで、パッチワークに勤しむ妻が手を休め「じゃ私が作ってあげる」とでも言ってくれたならば、天にも昇る気持ちで妻を尊敬しょうと思ったが....。そんなに甘くはなかった。

一言「作ったらー」だった(; ;)くー

げげ、こんなに汚して...
現在のシートカバー

そんな、おおげさな物を作ろうと言うのでは無い。試しにAクラス前席のシートに使われている布の数を数えたら、13点だった。これをどうやって、形を取り、どのぐらい縫い代を作り、どうやって縫うか........うううんー。本屋に「おやじが作る車のシートカバー」なんて本があれば飛んでいって買うのだが、そんな物は無い。

やはり自力で作るか......。もし、これを読んだ洋裁経験者の女性(男性でも可)のみなさん。出来ると思いますか?

   

2000年9月5日

トータルリコール

三菱から手紙が届いた。

今回の三菱自動車製品リコール問題に関して(お詫びとお願い)」と題して、一連のリコール隠し騒動に対するユーザーへの謝罪文だった。同じ内容の文章は、翌日の新聞紙面にも掲載されたが、リコール対象車ではない妻の乗るパジェロミニには別にどうでも良い事だ。だが、社長がテレビで言ってた様に「これで三菱車の買い控えが起こる事が一番恐い」為なのか、必死のつなぎ止めの様な気がした。

日曜日、丁度購入した三菱のお店の前を通ったが、客は一組のみ。たまたまかも知れないが閑散としていた。同僚の女の子は「もう三菱車なんて絶対に買わない」と言っていたが、「じゃどうしてレガシィに乗ってるの」と聞いても「それがどうして関係あるの?」とスバルがリコール隠しをやった話なんて全然知らない様子だった。

企業はイメージが大切だ。特に車に関して、あまりこだわりのない人は選挙の時の浮動票みたいなもので、世の中の雰囲気に流されやすく「それみた事か」とテレビで聞きかじった情報を元に知った様な三菱批判なんかしたりする。

昨年だか、ヤナセへ行った帰りに三菱のディーラーへ寄った時、Aクラスで行った為かも知れないが、ドアを開け笑顔で出迎えてくれてくれた。その時のアットホームな雰囲気が、行ったばかりのヤナセとえらく違って好印象だったのを覚えている。

その時貰った名刺には「メルセデス正規販売店」のゴム印が押されていた。それを見て、ヤナセよりこっちの方が近いのでオイル交換の時にでも利用しようか、とも思っていのだ。

大企業の場合、こう言う事件があった時は何時も末端の者が大変だ。それは先日来た封筒の手書きの郵便番号の乱れた文字が「も〜かんべんしてよ」と物語っていた。

文字が悲鳴をあげている感じで乱れている

妻は封筒を見て「何々、お詫びの印に何かくれるのかなー」と言っていたが、そんなに美味しい話は無い。

   

2000年9月4日

入院予約?

ヤナセへ行った。

フェアーの粗品目当て、って事もあったが、例の「エンストの件」も一応相談しておこうかと思ったからだ。

日曜の昼下がり、ヤナセの駐車場には一台の車も無かった、何だかひっそりとしている。そう感じながら車を降りて、ベンツ棟へ歩いていくと後ろから「ご無沙汰しております」と担当営業マンが声を掛けてきた。

ここで、ちょっと「ホット」する、「とりあえず、どうぞ」と中に入って、念願の粗品を頂く。「CDケース」と言うと、今までで一番安っぽい粗品だったが、私のとって今一番実用の品でもある。(でも安っぽい)。

さて、頂く物を頂いたら本題に入ろう。つかさず私は「実はまたエンストしたのですよ」と切り出した。だが担当営業氏「あー前も一度ありましたよね」と、いったって冷静に、しかも良く覚えている。前回の話から、結局エンストの原因は色々とある事で、一度車を預かって一通り調べてみたいと言われた。

あ、結構大がかりなのだ。「たった二回のエンストなのに、これはたいそうな事になった」と思ったが、まぁ、一度調べて貰うのも良いかと思いお願いした。今週は、予約が一杯な様で、来週、都合が付けば職場へ取りに来て貰うことにした。代車は、今Aクラスは無いので同じ小さな車としてオペル車になるらしい。

本当は、これが楽しみだったりする。

中身は脱着式になっている
横に入れるとちょっときついか
Pの位置ではまとめて出ないCDケース

これからAクラスを買おうと思っている人が読んだら「Aクラスは故障が多いのか?」と思われるかも知れないが、他の外車に比べて特に多いとは思わない。あ、当たりはずれはある様だが(歩留まりが悪いって事か)。

イタリア車の様に故障や不都合を楽しみながら、乗っていく。そんなゆとりがないと、「ベンツだから確か」と言う妄想は早く捨てた方が良い。所詮人間が作る物だから、完璧とは行かないだろう。それでも、車に手は掛けたくない「移動のための道具」と割り切るならば、止めておいた方が良いかも。

来月は、いよいよ新Cクラスの発表展示会らしい。「早めに見に来て下さい、直ぐに展示車はなくなりますので」との事だった。そう言えばAクラスも発表展示会の時だけERの実車があったが、あっと言う間に無くなってユーザーの手に渡った。もうCクラスを予約して、第一号を手に入れる人が決まっているのだろうか...。

   

2000年9月1日

トマソン発見(その2)

また、トマソンを発見した。

トマソン」って何?と言う人は昨年の11/22日の日記「Aクラスに決めた訳」を参照して欲しい。簡単に言うなら「機能を失った構造物に芸術性を見いだす行為」とでも言うか.....あ簡単では無いですね(^^;)。

ま、下の写真を見て下さい。場所は奇しくも前回と同じ「近所のCoCo」と言う全国的には超マイナーなコンビニの駐車場なのです。どうです、「何で車止めが二つも並べてあるのだ?」と恐らく初め見た人は思うでしょう。前回の日記を読むと解るけど、これは、コンビニの壁と車止めの距離が短かった為、ケツの長いRV車とか、セダン系はバックで駐車しても、車止めにタイヤが当たる前に、バンパーや予備タイヤが壁に激突していたのです。

そこで、店主はもう少し壁から離した所に、新たに車止めをもう一つ作った。と言う訳です。ならば、今まであった車止めを、どければ良いでは無いかとお思いでしょうが、人件費もかさばる昨今、そんな無駄金は私がせっせと、ここで(CoCoのシャレになっている)チューハイやら発泡酒(要するに安い酒)を買っても大した儲けになってない訳で(って完全な想像)、なるべく負担を掛けないような工事結果なのです。

ま、別に邪魔には成らないから良いかー」的、発想が垣間見られているのですが、まさかそれを全国的にインターネットで発表されるとは、思っても見ないでしょうね。

見てたりして........。

見事に並べられた車止め
壁のタイヤ印は綺麗に消された
見事な芸術作品だ
勢い余っても大丈夫?

トマソン用語辞典によれば、これは「アタゴ」と呼ばれる物に近いと思う。何でアタゴかと言うと「新橋から愛宕山に向かう途上で第一号を発見した」からだそうだ......。

すっごく、イージーな命名だけど「トマソン」ってそんな乗りが一番良い。くだらない物に意味を持たせ、芸術性を楽しむ、そんな心に余裕のある路上観察者になりたいなー。