Aクラスと暮らす ほぼ毎日書けない日記

2003年5月

  Tidy & Cozy

A story of A

 



■2003年5月30日

音楽療法

さて、点検に要した金額を書こうとしたが、点検が終わって急いで車を持ってきたので請求は後日郵送するとの事だった。で、特別書く事が無くなったので「困った時は音楽ネタ」。

病気を患ってから早一ヶ月経過。まあ、ピークは過ぎたと言う感じはするものの未だ完治とは言えず。時々来る痛みを感じるから何時も神経が左足に行ってしまい精神的に参ってしまう。

こんな時は、何か少しでも「心の晴れる音楽」が欲しい。と言っても、基本的にはイタリアとかイギリスとか北欧とか、はたまた共産圏のロックを基本的に眉間にシワを寄せて聞き込む音楽が好きな性分なので、とてもこころが晴れる音楽とは縁遠い(癒しっぽいのはあるけど)。

ただ、結構広く浅く聴く身なので邦楽ヒットチャート的な物も、この歳になっても結構知っている、と思っている(買わないけど)。んで、気分が落ち込むときに聴く音楽は昔から邦楽と決まってて何も考えずにノー天気に聞ける(たぶんAクラスに乗るカタギの人は知らないと思うけど)仙波清彦とはにわオールスターズ」の「めだか」とかポピュラーな所では「矢野顕子」の「ごはんができたよ」なんかを聴く事にしている。いわゆる「癒し系の音楽」ではなく、これを聞くと「そんな、ちーせー事でクヨクヨすんな」と元気づけられるのだ。

だが、今それを聴こうと思っても我が家には「レコードプレイヤー」が無かったヽ(ー_ー )ノ

んで、何かないかと探したが、一昨年だったかCD類を大量処分してしまったので手元にはあまり残っていない。それでも探す........えーっと、パッテメセニー、あいかん気持ちが落ち込む。じゃ谷山浩子、ますます落ち込む.........と、探していたら何故か「PSY・S(サイズ)」のCDがやたら出てきた。なんでだか分からないがPSYSのCDは一枚も奉公に出していなかったのだ。

PSY・S」って知ってるよね?知らないか。何時だったかはみさんのHPに「溝口 肇」つながりでPSYSの事を掲示板へ書いたら、結構知っている人が多くて驚いた事がある。たぶん30代のおばさん(失礼)達はバブルの頃に一度は聴いた事があったのだと思うし、当時は時計のCM曲にも使われた。一度だが「笑っていいとも」のお友達にボーカルの「チャカこと安則まみ」が出た事がある、で一部では結構メジャー扱いなのだと思う。

私がPSYSを知ったのは当時「さんまののんま」のエンディング曲に使われていた「Woman・S」を聴いた時で「何だろうこれ」と興味を持ったのが始まりだった。その時の印象は打ち込み系の音楽と女声ボーカルのスタイルで当時としては結構先端だったと思う。

だから「いかにもカッコイイ系」を想像していたのだが、たまたま読んでいた「キーボードマガジン」に掲載された写真を見たら「普通を通り越して、ちょっとダサイんじゃないの?」と思わせるぐらいな格好をした。その彼女の姿と音楽とのギャップが、とてっても好きになってしまい、いつの間にかCDを買い続けてしまった。少々ハードでまとまりのない駄作もあるけど、結構ポップでノー天気になれる隠れた名曲もある。

で、96年にPSYSは私が思うに「煮詰まった」感じで解散。

あれから、どうしているのだろうとネットで検索してみたら、それぞれメジャーじゃなくなったけど自分達の道を歩んでいた。今HPで知ったけどチャカってもう40過ぎのおばさんなんだ。でも当時の曲を聴くと自分がその当時の歳に戻ってしまう。

で、今は「PSYSが通勤の友」。朝晩ラメラーをちょこっと開けてPSYSの曲をガンガン(でもないか)鳴らしながら走るVRのAクラスを見かけたら、それは私です。

  

知る人ぞ知るはにわオールスターズ
YMO色の濃い頃の矢野顕子
PSYSのCD、他にLPも数枚
MSVを入れるとこれは外付けアンプとして使うかな....

 

そうそう以前書いた大村憲司の「春がいっぱい」は08/06に紙ジャケット仕様で再発が決まった、とHMVからメールが届いた。とうぶん音楽が薬の日々だ.......。

   


■2003年5月28日

4年目の1年点検

1年点検に出す、お約束の日がやって来た。

何時もは車内にCDだのカタログだのが散乱しているのだが、たぶん車内もそれなりに掃除してもらえると思って、とりあえず片づけた。片づけたと言うか紙袋に詰め込んで車外に出しただけ。

で、後はヤナセから取りに来るのを待つだけだったが、こんな日に限って朝から忙しい。「確か9時半頃に取りに来るとか言ってたよな〜」と受付辺りを見回すがそれらしき人はいない。それで、ちょっと急ぎの用事だけ済まそうと別の階へ上がろうかと思ったら電話が鳴った。

何時ものM氏から「もうそちらへ着くと思います」と言う事で再度点検項目の確認。ここで、ハンドルを回しながらバックした時の異音を伝えるがブレーキパッドの調整で直るかもしれないとの事で一応見て貰うことにした。

待つこと30分。予想通りの大げさなトレーラーがやって来た。

しかし忙しかったので、とりあえずキーを渡して何だか分からない紙にサインして、そのまま仕事へ。でも上からちらっと見たが、やっぱし大げさ。だから同僚からは「故障?代車は?」と言われてしまった。まあ、たかが一年点検に大型トレーラーは目立つよな。一応今日中には帰ってくる予定だが果たしてどうなるのか。

我がAクラスはサンダーバード2号の様に発射台に乗せられ、ドナドナされて行きました......。

Aクラス2号
サンダーバード
アット
ゴー!

 

で、点検に出している事も忘れかけていた3時過ぎにヤナセから電話があった。

一通り点検をした後に気になる点を幾つか.......まずバック時の異音の件だが色々見てブレーキパッドの調整をしょうと思ったが「ブレーキパッド」自体が、あと2mmの所まですり減っていた。まあ、無くなったら当然センサーが働いて、その後交換でも構わないと言う話。でも、センサーが働いてまた交換に行くのも面倒なので、早めの交換をお願いした。一応ディスクパッドと一緒にセンサーも交換になるらしい。

もう一つは「ファンベルトのひび割れ」が目立つとの事。今すぐ切れそうな事はないが通常より痛みが激しいとか。先のパジェロミニの件やタイヤのビビ割れなど、やはり海の近くだとゴム類の劣化が早いのかも。これもある日突然切れてしまったらコワイので交換。

あと気になる点として、以前もあった「オイル漏れ」がやはりあるらしい。だが、それは極少量でガスケットの部分から少し漏れ跡が確認できる程度だとか。あれから気にはしていたが駐車場にオイルのシミも出来ないし安心していたのだが、やはりオイルは漏れていたのだ。しかし、この程度は特に気にする事ではないそうなので、そのまま様子見。一応、今度のオイルは、ちょっとだけ粘度の高い物にしょう。

後は特になし。オイル(フィルターも)交換したが、ここのヤナセではよく言われる「○○交換しておきました」の事後報告ではなく一応お客の確認を取って交換するらしい。だから上の件も、そのままで他の店でやろうが、そのままほっといても良いが、こちらも4年目で色々と交換する物が出てくると予想していたので、そのまま交換をお願いした。

概算は一応聞いたが、果たして幾らになるのか............?


■2003年5月27日

優勝!?......したけれど

それは日曜日の話。

またまたやって来た日曜日。だけど、どうも足腰がまだ完治しないのでナビとETC取り付け話をしにABまで行く元気がなかった。だが、ETCは例の補助金がらみで量販店では既に前倒しで色々なキャンペーンをやっている所もあり、取り付けだけ先に行いセットアップは実施日の朝一番で行う話もある。「ならば、もうナビと一緒に取り付けておいても良いかな〜」と昼食を食べながら考えていたら......電話が鳴った。

それは妻からだった。「あなた当たったわよパソコン」ではないが、それに準ずる威勢の声で「優勝したわよ〜!!」だった。

優勝!?」そう、実は息子のやっている野球チームが「全国学童軟式野球大会」とやらに優勝したらしい。だが少年野球に疎いσ(^.^)は「へー」...............で終わりである。「へーじゃないわよ、行くわよデイズニーランド」と電話口から聞こえてきた。

ぇ?ディズニーランド?」 野球大会とディズニーランドとの間にどんな因果関係があるのか疑問に思ったが、県大会で優勝したと言う事は全国大会へ出場するのだ。その全国大会が「水戸」で行われるのであった。

水戸と言えばご老公様と納豆しか思い出せない。大体、四国の片田舎から見た日本地図は東京から向こうは全部東北で、その向こうは断崖絶壁で海が滝のように流れ落ちて、その大地を巨大なカメが支えている中性西洋地図のような感覚でしかない(でも北海度は身近だったりする)

だから、箱根の山を越えた辺りから、下手をしたら成田・つくば辺りまでは全部関東・東京感覚なのだ。そこで、水戸まで「せっかく行く」のだからディズニーランドへはついでに行っとく(それは優勝する前から決まっていた)計画らしい。だから全国大会へは何をしに行くのか。何をしたいから頑張ったのか?なんて思ってしまった。

しかも後援スポンサーが「マクドナルド」だから、マクドナルド食べ放題と言う副賞が付くらしいのだ。いや、中には水戸よりディズニーランドよりマクド食べ放題に目がくらんで頑張った奴もいるかも知れない。

で、試合は暑い8月の第一週から。

夏休みなので、ちゃっかり下の子も連れて行くらしい。つまりσ(^.^)一人で留守番&仕事なのだ。電話の向こうは興奮気味の声だったが最後の言葉が「お金よろしくね」だった。親子三人で水戸まで行ってディズニーランドで遊んでくるととなると、ちょっとした小金が必要だ。

まあ、そのぐらい良いか....と思って電話を置いたが、何だかナビとETCを買うと言えなくなってしまった罠.......(υ´ Д`)

地元新聞
息子の写真が....
9回で決着つかずに抽選になったらしい
サンクスにて

 

で、翌日の新聞。

家は昔から朝日新聞しか取ってないから「コンビニで買ってきてよ」と早朝から地元ローカル新聞と「スポニチ」を買わされた。決勝戦は4対4の同点のまま決着が着かずに、結局抽選により決まったらしい。まあ、勝った事には変わりはないので優勝は優勝だ。

スポニチは白黒だったが地元の新聞ではカラー刷りで息子の写真が載っている。野球には興味ないとは言え「オヤジとしてはちょっと自慢か?」と思って、決勝戦の両チームの成績を見ていたら、みんな沢山のヒットを飛ばしている。

で家の息子の成績を見たら...............4打数、ヒットなしやんか(υ´ Д`)これじゃ自慢できんぞ。準決勝は2安打だったらしいが新聞には出てない.........


■2003年5月26日

ハッピーバースデー 〜 4歳の誕生日  その2 〜

しかし、納車から4年である。

このHPの最初の頃の日記読み返すと早いような短いような感じがする。しかし、この4年間には色々な事があり、まるで我が子の成長の様にも思える親バカな感じなのだ。

親バカと言えば出来の悪い子ほどカワイイと言う。「Aクラスって正にそうじゃないか?」と言われてしまいそうだが、幸か不幸か、我が子は比較的良いAクラスだったと思う(今のところ)。でも、全く何もなかった訳でもない。そこで、今まであった不都合らしい不都合をまとめてみたのだが.........。

 

症状
時期・頻度
状態・処置

エンスト

納車の年の夏と翌年の夏の2回発生。何れも炎天下のブレーキを踏んで減速した時。

エンジンを駆け直すと回復。Yに見て貰ったが症状は再発せず。一応関連部品(?)の交換。それ以後一度もなし。

ブレーキの異音

納車直後から約1年

ブレーキを踏むとキーキーと鳴る。特に対処せず、いつの間にか鳴らなくなった。

窓開閉時の異音

納車から約1年、特に雨の日

窓の開閉時の異音。これも特に対処せず、いつの間にか鳴らなくなった。

ラメラールーフ内装のゴムの切れ

内装コーナー部分一部に亀裂。

メルセデスケアにて修理。その時の状態は→これ 特に不都合と言う物でも無かったがヤナセでは全部取り替えたらしい。修理後の状態は→これ

「BAS/ESP/ABS」の点灯

納車一年目に1回のみ

エンジンを駆け直すと回復。その時の状況は→これ 後にYで見て貰ったが特に異常なし

エンジンが駆らない

納車直後に2回

回し方が慣れてなかった?以後、その症状は出ず。

ボルトの錆び

納車翌年

特に対処せずその時の状況は→これ

ラメラーからの異音

納車2年目にちょっとだけ

いつの間にか消失

ステアリングからのクー音

納車2年目から、特に雨の日に多い

何度かヤナセに見て貰ったが再現できず原因不明のまま現在に至る。

ステアリングのガタつき

納車2年目に異音と共にハンドルを回すと何か引っかかる感じがした。

ヤナセにて2年目の点検時に「ステアリングシャフト・ジョイント交換」。その時の状況は→これ

バックしてハンドルを回したときの異音

ここ最近

ハンドルを回しながらバックする時に「グー」とか出る異音。とりあえず今度の点検時に見て貰う。

ラメのー開閉時の異音

2、3ヶ月前に数回

何も対処せず何故か自然と無くなった。単なる油ぎれか?

給油計の針が満タン時に1へ行かない

特に夏場

原因はよく分からないが、外気温との構造的な問題なのか?あまり深く考えないようにしょう(^^;)。

オイル漏れ?

オートバックスにてオイル交換時に指摘される

ヤナセにて点検して貰ったがオイル漏れはなし。

助手席窓が閉まらなくなる

一度だけ

スイッチをチョコチョコ押して閉めた。一度切りの事なのでどうやったか忘れてしまいました。その後なし。

と、まあ日記を読み返したり、思いつくまま書いたら結構あった(^^;)。

だが、その不都合の大半は大した事ではなく、そのほとんどがいつの間にか自然治癒しているのだ。だからトラブルと言う程でもない。異音なんてトラブルの内にも入らないだろうが、完全無欠を目指す国産メーカーから比べたら「×」の一つなのだ。私としては「どーでもイイ事」ではあるが世間では「ベンツなのに」と言うブランドの重荷を感じてしまう。

乗り出した当初は「エンスト」を一番懸念した。初期型が出始めた頃はは結構問題になっていたからだ。私のAも同様にエンストを経験したが、それは真夏の炎天下で2回だけ。勿論、超満タン時のエンストとは違うのだが、何故かその後は夏だろうが炎天下であろうが一度もエンストは起きていない。

一番大きな処置をしたのは、2年目にハンドルのガタツキを経験した時に「ステアリングシャフト・ジョイント交換」をした事だろうか。ハンドルを回した時に何か引っかかる感じがしたのだ。交換後は全く正常だが、ケア後に起こると部品代だけでも結構な額なので、ちょっと不安ではある。だが、一番心配な「F」の出現は一度もない。バルブボディも健在であり今となっては貴重なNコン付Aクラスなのだ。

まあ、上に書いた不都合も大した事ではないが、車検を終えてここ一年はとても調子が良い。納車直後から2年目当たりまでは、色々と気になる事があったが、それも全て出尽くした感じがする。

願わくば、このまま何もなしに行ってもらいたいのだ..........。


■2003年5月23日

ハッピーバースデー 〜 4歳の誕生日 〜

私のAクラスは今日で丁度「4歳の誕生日」を迎えた。

でも、実際に納車されたのは「1999年の5月28日」の事で車検日が5月23日だったのだ。で、そろそろ1年点検の依頼をせねばと思いながらも、なかなか積極的にはなれなかった。と、言うのもメルセデスケアを終えた後は「有料」になるからだ。

だからと言って受けない訳にもいかないし、大切に乗る気持ちがあれば当然ちゃんと点検をしておかないとイケナイ。スパナマークも今朝は遂に「-1」となり、これまでの時と違って「ピッ!」と音が鳴ってピカピカと点滅している。それを見て、やっとヤナセに電話を入れたのだ。

もしもし、一年点検をお願いしたいのですが」と言うと、ちょっと若そうな(声の)受付嬢が「担当のMは只今接客中ですので、後ほどお掛け直します」との事だった。そこで、直ぐに折り返しの電話があると思ったが、なかなか掛かってこない。

ひょっとして忘れられた?」と思ったら、約1時間後に電話が掛かってきた。いつも落ち着いた声で好感が持てる技術担当のM氏である。案内には、ちゃんと「技術担当」と氏名が明記されているが「営業担当」は誰なのか未だに分からない。もう、どっちか言うとM氏が私のAの事を良く知っているので、どっちでも良い事だが。

何か不都合はございませんか?」と聞かれたが、一瞬「何か、あったっけ?」と考えてしまった。とりたてて何もないものの、以前からずっと言い続けている「ハンドルを回した時のクルクルと言う異音」の事を告げたが、果たして今回原因が解るだろうか?

まあ、分からなくても別に構わないが、その程度の不都合しか思いつかなかったが、最近になってハンドルを回しながらバックする時に「グー」とかの異音がし出した。この現象は、最近のAでは珍しくない事。以前代車で借りたA160Lもこれ以上に恥ずかしい音が鳴っていたのだ。何かが当たっているらしいが、ついでだから見てもらう事にしょう。

ちなみに、同ヤナセ購入のAクラスなので1年に1回の「オイル交換無料サービス」が適応されるらしい。これは、ちょっと嬉しいが、ついでにフィルターも1年経過したので交換をお願いした(これは有料)。

今週はスケジュールが一杯らしいので点検日は来週の火曜日に決まった。代車は今月中は全部出払っているらしく来月にならないと空かないらしいが1日で終わるので代車は必要なし。さて、幾らかかるかな........?

とうとう-1
今朝までの走行距離
ラメラーも快調
とりあえず4歳

 

とかく初期型のトラブルが色々と報告されているが、運がよいのか私のAクラスは今のところ大した不都合は起きていない。まあ、事故も違反も無かったのでヨシとしょう。本当は、こっちが重要なのだ。


■2003年5月22日

(貧)どこでもインターネットへの道..........(その13)  〜 ユーザー登録 〜

なにげにメルコのHPを見ていた時、思わず「おお!」と叫んだ(いや、思っただけ)

それは「AirStation付属ACアダプタのロット不良、無償交換について」と書かれたサポート&サービス情報だった。と言うのも、去年の6月にこんな事があったからだ。

そう、突然のACアダプタ不良で無線ランからのネット接続が出来なくなったのだ。原因を突き止めるには、ちょっと苦労したが問題はACアダプタにあった。でも、その時は確か保証書が見あたらず、購入した販売店に相談したら「保証書がないとどうも...」と言われたのだった。

仕方ないので無線ルータ購入時に買っていた「壁取り付けキット」に付属するACアダプタを使うことで、その場を切り抜けたが購入から1年も経たずに壊れたので、ちょっとおかしいと思ってた。で、サポート情報を読むと「昨年2001年6月〜2001年9月に製造した、AirStationシリーズ付属していましたACアダプタに一部ロット不良があることが判明しました」とある。

購入は確か2001年の10月だが「これは、もしや?」と思い、交換対象製品を確認したら「WLAR-L11G-L」があるではないか。しかも「シリアル番号の先頭から7桁目を先頭に3桁が1*6、1*7、1*8、1*9 であるもの。」と書いてあるので、早速本体裏側のシリアル番号を確認すると........

.........「******1*7*****」............おー、ヤッター該当品ではないか(゚∀゚)/何だか宝くじにでも当たった気分だな〜。で、宝くじも買いに行った。

宝くじの話は置いといて、原因と症状を見ると「ACアダプタ内部の電解コンデンサ不良により、1ヶ月〜1年経過後にDIAGランプが点滅し、通信できない...等」と、書いてあり、あの時と全く同じ状態だった。

しかし、何で今頃?」と思ったが、この情報は昨年の10月からアナウンスされていた。故障時には掲載されていなかったが、たぶん同じ様な症状が沢山出てきたので調査した結果、不良品と判明したのだろう。しかし、この事を知らずに使っている(修理)した人も居るはず。こんな大切な事はちゃんと連絡くれないと。

と思ったが「ユーザー登録」をしていなかった。やはりユーザー登録はするもんだな ............(´・∀・`)ヘ。

WLAR-L11G-L
デカイ旧ACアダプタ
白いのは壁取り付け用の物
新しいのは直ぐに届いた
新しいのは小さい(左)
新しいのは薄い(左)
G54のACアダプタ
宝くじ売り場にて(^^;)

 

しかし、普段こんな物のユーザー登録はしない。

した方が良いのだろうが「面倒だから」と言うのが理由。MACならば、立ち上げ時に自動的にユーザー登録されるので苦はないが、いちいちハガキに記入して投函するのが面倒なのだ。

と思ったら、今時はちゃんとネットから登録出来る。でも、これが懸賞ならば苦もないはずの住所等の書き込みも登録だけだと何だか面倒に思える。登録者には毎月抽選で何かくれないかな(^^;)。

だが、既に無線ルータは「WLAR-L11G-L」から「WBR-G54」へ変更されている。でも、前機もまだ11b規格では充分使える物。今更ACアダプタもないのだが一応、無償交換申し込をしてみた。

驚いたのは、登録をした翌日には新しいACアダプタが届いた事だ。カロナビのカタログなんてネットで請求しても店頭にカタログが山積みになって並んだ後に送って来るのに、それに比べれば凄いスピードだ。しかも、ちゃんとお詫びの言葉も添えられていた。

新しいACアダプタは以前の物に比べてとても小さい。しかもコンセント部が取り外される物になっていた。大きさも作りも「WBR-G54」付属のアダプタと同じだが電圧がちょっと違った。

ちなみに、新しいACアダプタはインドネシア製、G54付属は中国製、壁取り付けキット付属の物も中国製だった。で、壊れた古い方のACアダプタを見たら台湾製だった。うーん、これもSARSの影響か.........な事はない。

PS:何か安くなったと思ったらWHR-G54(実効スループット90M)なんてのが出たよ。家用はルータだけと思ってたけど、これにしょう。

 


■2003年5月20日

JA3XPO 〜 「おたく」の源流 その2 〜

ネタも底を突いてきたので没寸前のネタを一つ。

実家へ帰ってAを洗車していると、後ろから「久しぶり」と誰かの声がした。振り向くと、それは小学校の時の同級生だったO君だった。たまたま隣の家へ用事で訪れただとかで、同窓会以来数年ぶりのご対面だった。

で、話はこの後の事。洗車後、部屋へ戻って片付けをしていたら、そのO君達と一緒に言った「万博の写真」が出てきたのだ。万博と言っても「花博」とか「つくば」の話ではない、もっと古い三波春夫も歌った1970年の「大阪万博」の話だ。

そんな時代は生まれてねーぞ」とか「記憶にございません」と思う人も多いだろうが、まだ小学生だった私は(歳バレバレ)、この万博の時に自分で撮った写真が今でも捨てられないでいる。少々ピンボケだが、それは当時万博内の「サンフランシスコ館」で行われたアマチュア無線の記念局だった「JA3XPO」の写真である。

今ではオヤジの頭ぐらい薄くなった「CQ誌」であるが、当時キングオブホビーだったハム雑誌。それを小学生の分際でこれを愛読していた私は、これで紹介された記念局(JA3XPO)へ万博へ行ったら絶対に見たいと思っていたのだ。あの頃はまだ免許も持って無く、兎に角ハムになりたかった頃(こう書くとブタだな)で、写真で紹介された無線機器がずらりと並んだ姿を拝んでおきたいと思っていた。

そんな頃、運良く学校から万博へ行く(遠足?)みたいな行事があった。よっしゃー!!、絶対に「サンフランシスコ館へ行くぞ!」と心に決めていたが、グループに別れての自由行動だったので個人行動はダメだった。そこでグループ(確か6人)で、何処へ行くのかホームルームで話し合いをしたのだが、誰もが「月の石を見にアメリカ館」とか「人工衛星のソビエト館」とかの大物パビリオンへ行きたいと言った。

でもね、人多いらしいよ」と知った様な事を言って、みんなを「まずは直ぐに入れるサンフランシスコ館へ」と説得したのだった。今から考えれば無謀だが、そんな私の強い願望をみんなが折れてくて、とりあえず行く事になった(゚∀゚)/

実は「サンフランシスコ館」と言うのは今の中国縦貫道の南側の敷地内にあって、とってもマイナーで小さいパビリオンだった。で、全員の記念撮影の後で、急いでみんなを引き連れて行ったのだった。

その時に撮った写真がこれ。とりあえず、スキャナーして加工したが白黒写真と言うのが泣かせる(当時カラーフィルムは高かった)。まあ、興味のない人には「これが何か?」って感じにしか思えないだろうが、当時倉敷の田舎の小学生にとっては憧れの地に思えたのだった.......。

洗車中
トリオ(現KENWOOD)で交信中
沢山のリグが...
JA3XPO

 

興味のないO君は「早く出ようよ」と言った。女子なんか、入りもせずに外で待っている。でも、σ(^.^)は写真を撮りまくって粘った、ヲタクは何時も無謀だな。

しかし、何でサンフランシスコなんだろう?

と思い、この「JA3XPO」をYahooで検索したら......あった。特に「週間BEACON」と言うHPに、その成り立ちが詳しく掲載されており、私の撮った写真と同じ写真がそこにあったのだ。何も知らなかったが当時、この記念局開局までに、こんなプロジェクトX風のドラマがあったとは知らなかった。

結局、大阪市とサンフランシスコは姉妹都市だったのだ。もう30年以上も昔の謎が今頃説けた。ちなみに、σ(^.^)がアマチュア無線局を開局したのは、その翌年の事であり、そのヲタク道は高校生になってシンセサイザーに出会うまで続く事になる。

ちなみに「おくたの源流その1」は→ここ

      


■2003年5月19日

ネタなし

今日は新しいナビの取り付けの話を書こう........と思っていた。

でも、今一つABまで行く元気が出なかったのだ。せっかく、半年も前から発売の日を待って事前情報も色々と入手して待っていたのだが、どうも足の痛みが完治しないので、やっと入手出来る段階になったと言うのに少しも嬉しくはなかった。

とりあえず、取り付け予定のナビはカロの「AVIC-XH9」だ。これにビーコン(ND-B5)とフィルムアンテナ(ナビックTVA-055のOEM)ついでにオービスROMまで考えていたが、何か乗る気になれなかった。結局、病院で点滴を終えて昼過ぎに行こうか、どうしょうかと悩んだ結果「今日は止めとこう」と思ったのだ。

やはり、気分が優れない時は物欲も湧かないと言う事か。まあ、日曜日のABは立て込んでいるだろうから、ゆっくりと商談するには平日に行った方が良いと思ったせいもある。とりあえず「買います宣言」をした以上、この件は追って報告しないといけないな(^^;)。

で、気分も優れないし髪の毛が邪魔になってきたので「散髪」へ行く事にした。ここは当然行きつけの「さんぱつ屋」だが、先日行ったら休みだったので今回は年中無休のここへ行った。何だかんだと言いながら「早い、上手い、安い」には勝てない(上手いは?だが)。

で、散髪を終えてエンジンを駆けると「あと4日」と出た。ナビより、こっちが先かな.........?

散髪屋にて
1500円
あと4日
今朝は..

で、病気のその後..........。

どうも「ヘルニア」ではないらしい。厳密にはヘルニア症状によく似た神経痛らしいが、神経痛と聞くと何だか「ハバァ」の病気みたいだ嫌だ。嫌だと言っても仕方がない。純粋なヘルニアならば、その神経を圧迫している骨なり髄核なりが見あたるが、どうも神経の根っこ自体が腫れている状態らしいのだ。

何か悪い病気なのか?」と思えば「時々若い人に多いね」とK医師。とにかく一番良く効く薬は「日薬(ひぐすり)」らしい。結局自然治癒に頼るしかないのだが、対処療法としては「硬膜外ブロック注射」で痛みを押さえるしか無いとか。

で、1回目は局所麻酔なしで痛い目をしてやったが効果が無かった。そこで次の週に今度は、ちゃんと局所麻酔をして薬の量を少し増やすと今度は「効いた〜」って感じで痛みは大分治まった。

ただ、一番痛い時を10とすれば2か3程度だろうか。全く痛みが無い事は無い。で、その事を先週末にK医師に伝えたら、もう一度ブロック注射をする事になった、これで3回目だ。本当は痛みも大分治まって普通の生活も出来つつあったので「痛いのは嫌だ」と思ったが、K医師が来週は出張で居ないので痛いのをガマンしてる事にした。

これが最後だ!!」と思ってやったものの.....あまり変わりがなかった(υ´ Д`)...........で、気分が再び欝になった訳だ。あと少しなのにな......トホホホ

PS:どうも最近の日記にはキレがない。自分自身も思っているが病気を抱えていると、どうも書く意欲が失せる。と言いながら、また書いている。これも病気か(^^;)。

  


■2003年5月16日

過去4年間の燃費

ガソリンを入れた。

今回は、中国オフ会なんてのがあったので、ちょっとだけ高速・遠出をした為、高燃費を期待したが、結果は「11.7km/L」と、ちょっとだけ良い燃費程度に止まった。それでも、満タンから「613km」も走っての給油だから大したものだ。

ガソリンの価格も先月の時の「109円」から3円値下がって「106円」だった。先の戦争で、高騰するかと思ったが、何処かの誰かが上手い具合に調整してのか、大して上がらなかった。でも、このまま安くなる事もなさそうだけど。ちなみに、当地でのSS向け卸価格 を調べたら「102.7 円」だった。他店の小売り平均が「116円」だから、セルフの経営もギリギリってところだろうか。

ところで、過去3年間の燃費なんて調べたのが丁度一年前だった。

そこで、過去4年間の燃費、なんて出そうとしたが、3年間分のデータは昨年HDDが逝ってしまった時に消えて無くなってた。

もう一度調べ直す元気は無いので、ここ1年間の推移だけ調べてみたのが右の図。4年間の推移は去年の図をくっつけて見て欲しい。

冬場はどもう燃費が悪くリッター10kmを挟む攻防戦。でも春先からはエフコンも使わないので一番良い時期かも知れない。(下の番号は月ではありません)

それと、燃費を期待してタイヤを195から185に交換したが、その影響はほとんど無いと言って良いかも知れない。

そうそう、コスモ石油のCMで「ハイオクは排ガスが少ない」とか言っていた。本当に環境を考えるなら期間限定のグリーン税制なんかよりハイオクの税金部分も減らしてレギュラー同等にすれば日本の空気も随分綺麗になる気がするなー。

相変わらず土日は安い
ハイオクは高いよね
何時ものESSO
ギリ満タン近くでやっと1

 

PS:Mersedes Benz A160L EREGANCEさんのHPにフェイスリフト後のAの「センターコンソールのバラシ方」が出てます(掲示板は無くなってしまったけど)


■2003年5月15日

(貧)どこでもインターネットへの道..........(その12)

で、もって昨日のつづき........。

電波の飛びが悪い」と言う名目だが、それなら外部アンテナの増設で済むはハズ。だが、先月からCATVのスピードが、やっと10Mbpsに増強された。なのに大したスピードは出ていない

その原因に一つにはルータ機能のある無線LANの実行スループットがボトルネックとなっている可能性が大なのだ。で、今回のアンテナ増設に便乗して、この無線LANも入れ替える事にした。

勿論上司には「これだけ増えるとスピードが落ちる」とかなんとか誤魔化したら「じゃ買ってきて」と言う事になった。「ヤッター(゚∀゚)/」と思ってはみたものの何にすれば良いのか。色々と調べ上げた結果、今まで使っていたメルコの「WLAR-L11G-L」の代わりに同社の「WBR-G54」にする事に決めた。

まあ、純粋にスループットの高速化を目的とするならば、もっと速い100bps近いルーターだけを買ってきて、それにブリッジタイプの無線を繋げば良いが、予算の関係もあり、あまり派手な事も出来ない。しかも「WLAR-L11G-L」と「WBR-G54」は見た目はほとんど変わらないのだ。

で、こんなチャンスも3年に一度しかないので、現在ドラフト状態の「802.11g規格の通信(54Mbps)」も、ゆくゆくは必要となって来るだろう(個人的に(^^;))と思い、ここで買ってしまおうと考えた訳だ(11gは来月正式対応)。

早速Y田電機へ行ってみたがカード付きの「WBR-G54/P」はあれど単体の「WBR-G54」は在庫が無かったので、アンテナの「WLE-DA」2つと一緒に注文した。だが、値引き(600円程度)は渋かったがポイントが10%付くので他店に比べれば安くなる。まあ、個人が買うのならもっと色々調べるが、こんなものか。

で、待つこと一週間。やっと商品が到着したと言うのに早速取りに行った。だが、この時に例の病気が発病、とても設定なんてやる元気も無かったが、先週末に、やっと何とかマトモに仕事も出来るようになったので箱を開けてみた。

だが、以前のに比べて取り説は簡素だ。まあ、添付されてるCD-ROMで簡単に設定できるらしいが、これはwin専用。MACからの設定に関しては何の説明書きもない。ただカタログには「WiFi」だしAirMAC対応と書いてあるし11gでの通信もOKとなっていた。だけど、MACしか持っていない初心者だと何をどうすれば良いか迷うだろう。

そこで、以前MACで設定した時はいきなり設定アドレスを打ち込むだけで簡単にメニュー画面が出てきたので、今回もDHCPにて無線接続し、いきなり初期設定にあるアドレス(これはカタログに載っていた)「192.168.11.1/cgi-bin/index.html」を入れてみた。

ら、ユーザーIDとパスワードを要求して来たので、入力....................が、何も出てこなかった。

Y田電機にて
G54だ
後ろのカバーが無くなっている
電源は小さくきしめんケーブル付き
やっと出た設定画面
新旧並べて(左が54G、見た目変わらず)
WLA-L11Gのアンテナ接続
とりあえず、これだけ出た

 

何度か色々な方法で試してみたが、結局MACからの設定は断念。

結局、デルノートから設定を試みた(最初っからそうしろよ)。CD-ROMを立ち上げて「エアステーションの設定」をクリックしたら、何やらゴソゴソと始まった。デフォルトでは「192.168.11.1」なのに、今設定している「192.168.0.○」に合わせてブラウザからの設定アドレスも自動的に変わっているのだ「おお、凄い!!

で、何のことはなく設定終了。試しに、MACから同じ設定アドレスを入れてみたら、ちゃんと出てきた。「何でかな??」まあ、出来たからにはヨシとしょう。設定画面は以前の物と異なるが詳細設定を押せば同じだった。とりあえず「ESS-ID」を以前と同じものに変更。

結局、その他ぶら下がっているMAC、Win共にIPアドレスの変更も何もせず無事にネットと繋がった(誰もルーターが変わった事は気づかなかった)。続けてアンテナの接続。新しい「WBR-G54」の接続は簡単だが今まで使っていたもう一台の「WLA-L11G」は中を開けて接続しないといけないのでちょっと面倒。

さーて、これで幾分速くはなったかな?」と以前と同じ計測サイトで計ったらMAXで「7.87Mbps」出た。平均で7Mbps前後だろうか、それでも以前の3Mbps前後に比べれば倍以上のスピードアップとなる。

ただ、この「WBR-G54」は最大スループット40Mbps、実効スループット27Mbpsと書かれているが実際は、その半分程度らしい。だからBフレなんかで既に20Mbps以上出ているならば、高速ルーターとブリッジタイプの「WLA-G54」を購入した方が良い。

だけど、とりあえずMAX10bpsしか出てないので、これでOKかも。もし来年辺りに、こちらのCATVも20Mとか30Mとかになれば「WBR-G54」はルータ機能を切り離すことが出来るので、またその時には理由を付けてルータだけを買ってしまおう(^^;)。


■2003年5月14日

でるぅ〜!!

パソコンどれが良い?

と仕事中に上司が聞きに来たのが3月のまだ寒い頃だった。「また、買い物相談か?」と思ったら、どうも職場で使うパソコンの話らしい。まあ、職場には何台か色々な種類のパソコンが置いてあるが、個人的にはiMACとPower Bookを使う生活なので、これ以上何もいらない。

で、話を聞くと、仕事上毎日データのやりとりをしている会社から「今度インターネット経由でデータが落とせる」事になった(昔は2400bpsだった)ので、その為のパソコンを設置するらしい。で、向こうが「ご希望のパソコンを(無料で)お持ちします」との事、勿論新品である。こんな美味しい話は滅多にない。しかも仕事に使うと言っても週に1回程度、3分も掛からないデータを落とすだけ。そんな事の為にわざわざパソコンを使うなんて勿体ない話だ。

って、事は使わない間はσ(^.^)の専用機って事になる。

が、しかし。それには某ソフト会社の作った「専用ソフト(データベース)」を入れないといけない訳で、当然Windows機になる。まあ、仕事で使うのだから当然と言えば当然。win機もあったらあっだ、やたらカッタルイ「Virtual PC」なんか使うより断然便利なハズである。

でも、「ご希望の品」と言われたが何でも良かった。下手にあれこれ入っていると消すのが面倒だし、下手にいじって壊したらカッコワルイ。そこで「何でも良いとなったら何になるんですか?」と聞けば「DELLになります」とか。しかもデカくて黒いデスクトップになってしまうとか。

但し、LAN接続工事はこちらがやらないとイケナイらしい。ならば今ある無線LANを活用するに限る。しかもコッソリ家で使うとなればノートパソコンの方が便利だ。そこで「じゃ、ノートで無線が使えるようにお願いします」と答えたら、とりあえず3台ぐらい持ってくる話になった。

本当は2台で充分だが、3台はちょっと余計だった。しかも「プリンターも3台お持ちします」と言ってきた。正直、プリンターは1台で充分だが来る物は拒まず(^^;)。しかも、だめ押しに「テンキーもお願いします」と言ってしまった。

そんな話をしたのを忘れかけた4月の中旬。「大変遅れて申し訳ございません」と言って、やっとデルのノートパソコンを3台抱えて京都(ソフト会社)からわざわざやって来た。

んが、しかし。デルノートと聞いて事前にHPで見ていた「B5の薄くてオシャレっぽいノートパソコン」を想像していたが、現物は全然違った。それはデカクて分厚くて真っ黒な筐体だったのだ。

しかも「設定終わりました」と聞いて見に行けば「これでしっかり仕事しーや」みたいに3台重なっていた............(υ´ Д`)

三段重ねのデルノート(無線付き)
Power Bookと比べてもデカイ
でも、画面は綺麗
ちゃっかり家で試そう

 

ただ、ノートにしては中身はまぁまぁの代物。見た目はブサイクだが一応Pen4の1.8Ghzらしい。

ただ仕事オンリーで使うので必要最小限のスペックだった。で、早速カスタマイズして仕事で使えるように、それぞれを設置したが、どうも電波の飛びが良くない。それでも同僚のFMVに比べれば届くが、肝心な場所ではアンテナ2本がやっと。

さてー、どうするかな。これは、アンテナの増設とついでにルータも交換してみょうかな。仕事で使う名目なら、たぶんOKだよね(^^;)。いや、決して昼間掲示板に書き込みをしょうとか、HPの更新をしょうなんて考えてませんよ(^^;)ミエミエ。

.........で、とりあえず上司に相談したのだった...........つづく。


■2003年5月13日

国民の義務 〜 その2 〜

またまた、税金の季節がやって来た。

毎年毎年分かっていながらも、GWで多大の出費(でもないけど)をした所にやってくる「自動車税」。それも夏のボーナスまで待ってくれずに月末までに(今年は6月2日)払えと迫ってくる。もう少しボーナス時期とかにズラしてくれれば良いのに何時も「金欠状態」の時にやってくる感じだ。

で、昨年同様2台の普通車。Aは1600ccだから「39,500円」フィットは1300ccだが、昨年同様「グリーン税制処置」とやらの恩恵で25%オフの「26,000円」だった。ちょっとありがたいが、この恩恵も今年で終わり。来年からは「まともな税金」を払わないといけなとなると、また来年の日記で嘆く姿が想像される。

そうそう、フィッの場合「二つ星★★」だから「2年間25%オフ」だが、それも今年の3月末まで登録された車で終わり。と思ったら、それを見越したかのように4月から販売のフィットは★★から★★★になった。で、三つ星の場合は1年間だが50%オフとなる。つまり金額的には同じ減税額なのだ。「なーんだやれるなら最初っから三つ星にしろよ」と思うが、技術的には出来ても、きっと裏事情が色々とあるんでしょうね。

で、そんな★とは全く関係ないAクラスで、近所の銀行までひとっ走りして来た。

あ、そうそう例のヘルニアの痛みだが、大分痛みも少なくなってきてはいるものの、やはり昼休みに着替えをしてわざわざ銀行まで行くにはちょっと辛い。最近は税務署の窓口を夕方まで延長したり土曜日にも開いてたりするが、日曜日は何処も開いていない。公共料金の支払いがコンビニでも出来るのだからコンビニとかでも納税出来るようにすれば良いのに。

いや出来れば何時も利用するテレホンバンキングが利用できたら良いのに。とか思いながら今昨年の日記を読み返したら「銀行引き落としも出来ますよ」と書いていた..........あ、行く前に読んでおくべきだったな。

キタ━━━┐(´Д`)┌ ━━━!!!!!!
何時もの銀行で
スパナマーク出現
キタ━━━┐(´Д`)┌ ━━━2!!!!!!

 

で、銀行から帰りにエンジンを駆けるとスパナマーク(メンテナンス ・インジケータ)が「点検まであと10日だよ」と表示している事に気が付いた。たぶん朝も出ていただろうが気が付かなかった。

そっか、やっと税金払ったけど、これにもお金が掛かるのか。と思いながら仕事を終えて家へ帰ったら、今度は「任意保険の案内」が届いていた。これは来月だから、まだ一ヶ月近くある。しかし、先日固定資産税も払ったばかりなのに、もうお金がありません┐(´Д`)┌ 。

あ、思い出した、実家の固定資産税も払ってなかった.....トホホホ。

■2003年5月12日

どっちも一年点検


ヤナセから「法定定期点検のご案内」と書かれたハガキが来た。

確か昨年の車検時には何の連絡もなく「こちらから連絡して」やっと車検日に間に合った状況だった。だが、一年点検なんて少々過ぎても良い事なのに、こうやって事前にちゃんと連絡してくる。何で?

まあ、ケアが終わったから今度は全部有料になる訳だけど、それなら車検の方が重要だったハズ。いや、車検が思いの外安くすんだので、一年点検の方が出費が多いと言う事カモ?そこで、色々と調べると一年点検(車検の翌年)は「大体4万(±5K)」ぐらいは掛かるらしい。まあ、走行距離や使い方によって色々と変わってくるだろうが、これにタイヤとかバッテリーとかの大物消耗品の交換が加わると結構な出費になってしまう。

さーて、どうしょうかな」と思っていたら、その前に「フィットの一年点検」がやって来た。

こちらは、手抜きのないホンダの事。事前に点検案内のハガキが三ヶ月も前から来ていたし一ヶ月前には担当者から、ちゃんと電話連絡が来た。それでも無視していると、それ以上に執拗な連絡は無かったがオイル交換から約半年は経過したので、そろそろ点検に出そうと思った。

と、言うのも毎月オイル交換が半額になる週末だったからだ。早速、日曜日の早朝にホンダ店へ行くと「あいにく今日は整備の方が立て込んでまして....」と言う事だったので、翌日、職場の方へ取りに来てもらうことにした。

国産車の新車後一年点検だから、特に問題がある訳ではなく、あっという間に戻ってきた。まあ、走行距離がこの一年で「4525km」しか走ってないのでオイル交換以外は特別な事はしてないようだ。

工賃9,300円」それにオイル交換と消費税もろもろで「12,440円」だった。一年目だから大した事がないがAの一年点検もこのぐらいで済んだら嬉しいのに..........あ、Aはケア中は無料だったか(^^;)。

とりあえず1年
一年で4525km
燃費は15.3km/L
いつの間にかホイルにキズが..

 

さて、フィットも一年経ったけど、その間販売台数が1位を独占し続け、今や何処を走ってもフィットたらけとなってしまった。こんな状況が予測できたらフィットは買わないと思ったが、コストパフォーマンスの良さから言えば、よく言われる「ゲタ代わり」には丁度良い車かも知れない。

ただ、自分名義でありながら毎日乗らない車になると、どうも「愛着」が湧いてこない。やっぱし、二股の浮気は出来ないのよ(^^;)。

購入のきっかけとなったフィットの燃費だが、我が家では遠出をすれば「17〜18km/L」ぐらいは出るが、ほとんど近所を走るだけだと「10〜11km/L」と言う値も珍しくはない。つまり燃費に差がありすぎるのだ。

リアルタイムで出てくる燃費は、どうもケチな性分だとやたら気になる。妻は、そんな事は全く気にしないらしく(表示すらしていない)走り回っているが、私が運転する時より燃費が悪い気がする。昨日も某ホテルでのお食事会へ行くのに隣に乗せてもらったが、やたら急発進急ブレーキが多いのだ(やっぱりな)

で、「どうよ、一年乗ったこの車」と感想を聞けば、未だに左前方が何処まであるのか掴みきれないとか。そんな事だと思い購入時に取り付けた電動コーナーポールとコーナーセンサーだが、その甲斐もなくホイルにはキズが沢山付いていたのだった...........(υ´ Д`)


■2003年5月9日

GWなのに欝 〜 その4 〜

..........いゃ〜ホント痛かった(υ´ Д`)。

でも、これで痛みが治るならガマンした甲斐もある。が、しかし、そうは簡単に事は済まなかった。翌日からはいよいよGW後半の三連休である。幸か不幸か、天気は良いが何処へも行けない。いや、何処へも行く元気が無かった。

あれだけ痛い思いをしながら、今一つ痛みが変わらない。まあ、最初の頃に比べれば多少良くなった様にも感じるし、お風呂の湯船にも入れるようにはなった。だが、夜中はどうしても痛みで目が覚めてしまう。

で、段々と「」になって行くのだ。この病気、どうも精神的に参るらしい。私はまだ家族と暮らしているし仕事も出来るが、世の中には休みがちのために仕事もリストラされ、半端寝たきりの一人暮らしも多い(某掲示板)。しかも多少楽になる時もあるから、他人から見れば何か病気にかこつけてサボっているようにも見られるのだ。まあ、この病気だけがそうだとは言えないが、決して死に至る病気でないが故に辛い。

で、気分転換に毎年恒例となった「潮干狩り」へ行く事にした。いや、正確には潮干狩りの所まで車で送り迎えをしたと言う事になる。最近は家族で移動する時はフィットの方を使っている。トランクルームは広いしアクセルを踏むとAよりグッと走るので街乗りには丁度良い。

ただ、その日の満潮は午後12時過ぎだったので、ちょっと着くのが早すぎた。で、小一時間ほど時間を潰して妻と子供達は下の海岸まで歩いていった。本当は一緒に行きたかったが、痛みが増すと困るまで止めておいた。

とりあえず終わったら携帯へ連絡すると言う事で、私はそのまま病院へ行って点滴を受ける。外は絶好の行楽日和だと言うのに、何でこんな事になったのか......あ、いやいや欝になってはいけない。これも神様が与えてくれた何かの試練だ、この後はきっと良い事が待っているに違いない。

そう思って、昼食は一人マクドナルドで思いっきり「プレミアムマック」を食べた...............これが、今年のGWの思い出だった(涙)。

  

潮干狩りのフィット
プレミアムマック
座布団はなしヨ
カタログのテンピュールシート

 

Aの運転席に置いていた座布団を取っ払った。やはり、深く腰掛けるのが丁度良い。

そう言えば、新しくなった「YANASE LIFE」のカタログショッピングに「テンピュール オートシート」と言うのが載っていた、今話題のテンピュールの車専用のシートだ。価格は19000円だが限定販売数50個と書いてある。これは急いで「買え」と言う事なのか?

.........どーしょうかな。

 

PS:とりあえず、今現在病気の方は日記が書けるぐらい回復に向かっております。ま、焦らずボチボチやね。


■2003年5月8日

GWなのに欝 〜 その3 〜

さて、ヘルニア話の続き......。

整形外科の医者から「手術」なんて言葉を聞かされたものだから、とっても「」になってしまった。とりあえず、薬と点滴と物療での対処療法で様子を見る事にしたが、家へ帰ると痛みは益々激しくなった。

その夜は、どちらに向いて寝ても痛くて2時間毎に目が覚めてしまったのだった。やっと朝が来て起きると、また激痛。「お〜神様、なんで俺ばっかりこんな目に遭わないと行けないのだ〜」と嘆いてみても痛みは消えない。やっと立ち上がって顔を洗おうとしたが、痛くてまともに立っていられない。片手で支えながら片手で洗面と歯磨きを終えたが、とても辛い。

しかも、左足を触ると妙な感触がある。内股から足首にかけてシビレているのだ(>_<)。シビレと言っても正座した後のジンジンするシビレ感でなく、何となく掻痒感にも似た感触だった。しかし、この状況は6年前に入院した時と同じ状態だ。いや、前回は痛みこそ同等であれシビレは無かった。「これは弱ったぞ」で、この時「入院」と言う文字が浮かんだ。「そうだ入院だ」一人で靴下も履けない状況ではマトモに生活すら出来ない、とても仕事なんて出来る状態ではない、と思った。

翌日の整形外来はK先生だった。この医者私より若いが現在、臨床バリバリで患者の評判も良い。よって、またもやワラをも縋る気持ちで受診した。とりあえず、今の痛みを取って貰うには以前入院中にした「神経根ブロック」しかない。ちょっと痛いが背中に針を刺して麻酔薬のように物を入れて痛みを遮断する治療だ。

一通りの診察の後「入院、そしてブロック」と期待していたが「とりあえずMRI撮ってよ」との事。今回の傷害部位は今までの所とは少し上の方で、神経支配領域としてはL4、大腿神経に当たる所らしい。で、その日の午後にはMRIを撮った。

だが、次の診察は連休前の金曜日。それまで痛みと戦いながら、とりあえず仕事。いや、仕事なんて身が入らない、ただ点滴や物療もやっているので治療のついでに仕事をしているようなものだった。まあ、これが普通のサラリーマンだと、こうは行かない。この時、職場が病院で良かったとつくづく思った。しかし、この頃が一番痛かった。夜お風呂に入ろうとしたが痛くて湯船に浸かれない。立っても痛いので、急いでシャワーだけをする毎日だった。

気を紛らわそうとTSUTAYAへレンタルしに行ったが、下の棚の物は痛くて取れない。それでも何とか借りようと思ったが良い物は全部レンタル中で結局止めた。で、患部を暖めたら良いと言うので、電子レンジで温めるホッカイロの様な物を買ったり、風呂場でひげ剃りをしなくて済むように新しいひげ剃り機を買いに行ったりと、何とか頑張った。

で、金曜日。撮ってきたMRIを見てK医師は.............「大したことなさそうね」とさらりと言った。

へ?そうですか?」大したことは無いと( ´・ω・) ?? 。

S医師は「今にも手術」と言ったけど、そんなに重病では無さそうなので、ちょっとホットする。だが、この痛みはなんとかして欲しい。「とりあえずブロックしとこか?」と言ったので「お願いしまーす!!」と答えた。

ただ、この日のK医師は忙しく午後から二つの手術を控えていたので、とりあえずひとつ目が終わった所でやる事にしたのだ。だが、このブロックってとっても痛い。注射ならチクリで済むが、背中に針を刺してグリグリするのだから考えただけどもゾッとする。

だが、最初の手術はなかなか終わらなかったのだ..........ドキドキ。

  

トミナガドラッグにて
買ったひげ剃り
TSUTAYAにて

 

ドキドキしなが待っていると、結局夕方になったしまった。

とりあえず仕事時間も終わったので、着替えをしていると看護婦さんが呼びに来た。急いで行くと、そこは二階の詰め所の続きにある処置室。「じゃ、やろうか」と、うつ伏せになり、お腹の下に毛布を入れてお尻を突き出す格好にさせられた。今回は普通のブロックと違って仙骨ブロックと言って、お尻の付け根の骨の間から針を刺すのだ。

で、看護婦さんが来て「ちょっとパンツを下げるよ」と言われたがカーテンは開いたまま。ったく、俺のことを誰も患者扱いしてくれない。だが、ここまで来たら恥も外聞も無い。とにかく痛みが取れてくれるならお尻でも何でもサラしますよ。えー、どーぞ見て下さいってんだ。

と、開き直ったところに針がブスリ!!

痛〜い!!

いや、そんな短い時間じゃなかった。「痛----------------------------------------------------------------い!!×20、ぐらいはあっただろうか。しかし、6年前もこんなに痛かっただろうか。まあ神経のソバだから痛いのは当然だと思っていたが、あまりにも私が痛がるのを見てK医師が一言.........「あ、局所麻酔すれば良かったね

..............し、していなかったのか....Σ( ̄ロ ̄lll)...........つづく。


■2003年5月7日

メールの返事です

またまた「A210L エボリューション」の限定発売が発表された。

これで第3弾と言う事になるが、今回の発表は今までのコソーリ発表されていたのと違って、DCJも「売ります」って感じで結構力が入っている。最初の発売は唐突で一般市民にはほんど気が付かなかったが、きっと「新し物好きのエボ需要」も一巡した様子を見て今度は積極的に売ろうとしているのかも知れない。

と言っても、200台限定。だが、この「限定」の文字に日本人は弱いから店頭で初めてこれを知った人は「これだ!!」と思ったかも知れない。で、普段はやらないインターネットやらで色々と調べていたら、ここに到着した.....のかな?

んで「A210Lってどうよ」って相談メールを頂いたが、何せ自分が乗っていない車について感想を求められても、ちと困る。しかも「昔の日記に色々と書いてある」と思ったが、この日記の量が半端じゃなかった。毎日せっせと見ている人ばかりじゃないので探しにくいのだ。

と言う訳で、昨年の日記よりA210エボに関する所を抜粋してまとめてみた「ここ(別鯖)。これを読み返してみて分かるとおり、限定だから「俺の車は全国で200台しかない内の一つ」と思ったら、既に昨年から発売されてて、いわゆる「限定」とは、ちょっと違っていた事に気が付くだろう微妙には違うが。しかも既に中古車市場にも何台か出回っている。

じゃ止めた」って?いやいや、最初の発表当時は冷静に考える余裕もなかったが、今こうやって改めてA210evoを考えたら結構良い車だと思い始めた。何が良いって、そうだな流行に惑わされずに「長く付き合えそう」って感じだろうか。ただ、ガツンと走る車でもなければ、どーだベンツだ、と言う風格は期待出来ない。これは新たな価値観を持たないと他車とは公平に天秤には掛けられない車だ。だからR32とかルポGTIとかと迷うのかも?

しかし、以前から「Aクラスが欲しいな」と漠然と思っている方には、絶好のチャンスかも知れない。まあ、来年になればW169が出てくる訳だけど、今のカタチが好きならば完成されたW168も長く付き合えるので良いと思う。

本体車両価格も350万円は他車と比較すれば高いが、A190との差を考えれば決して高くないむしろバーゲン品だと気が付くと思われる。と、とりあえずDCJの後押しをしておいて(^^;)。..............こんな感じです>メールくれた方々。

あ、ヘルニアに関しては、また明日。今日はこれから痛い治療が待っている...........(υ´ Д`)ウゥ

    


■2003年5月6日

GWなのに欝 〜 その2 〜

一週間のご無沙汰でした。

で、もうすっかりGWも終わってしまいましたね。実は、この一週間色々とありまして日記をお休みさせてもらいました。

ネタとしてはフィットの一年点検や明日にも発表されるカロナビの噂話、それに休み中の事。また、もうすぐやってくるAクラスの一年点検とか保険とか、税金とか.....それに、ナビついでのETC(5000円助成金の話も含めて)バックカメラに5.1chまで行ってしまおうかとか、4年目にもなって大々的に色々と考えていたのだが、ちょっとそんな絵空事を考える余裕なんか無くなったのだった(υ´ Д`)。

そう、先週の健康状態不調の話に続きが......。

あの日記を書いた後、とりあえず整形外科の医師に一度見て貰う事にしたのだ。その日の外来はS医師。この医者、臨床より研究って感じで物事は良く知っているのだが、手先がちょっと不安。でも、当日はこの医師しかいないので藁をも縋る気持ちで病状を告げると「とりあえず腰4方向」のレントゲン写真の指示が出た。

で、出来上がった写真を見て一言「ん〜 ヘルニアだね」.........と言った(゚∀゚)ニアニア

..........「ヘルニア」それは久しぶりに聞く言葉だった。実は6年前(正確には6年半前)、このヘルニアの為に一ヶ月少々入院した経験があったのだ。だからどんな病気でどんな治療になるかは大体分かっていた。だが、今回の症状は前回とはちょっと違った。以前は座骨神経の痛みでとても歩けなかったが、今回はむしろ歩く方が痛みが少ない。なのに「なんで?」と思ったら、それは新たに別の場所のヘルニアだったのだ。

あ、ヘルニアと言っても色々とある。正確には椎間板ヘルニア。いや、もっと正確に言うと今現在は「腰部脊柱管狭窄症疑い」と言う事になる。一般的にヘルニアと言えば、突出した物の事だが、勘違いされると嫌なので鼠径ヘルニアとか臍帯ヘルニアのたぐいではない。

が、しかしヘルニアと言う病気は格好悪い。これが肉離れとかベースボールエルボー(野球肘)なんかだと同じ病気でもカッコイイが、「ヘルニア」と言うのが何かインビである。恥ずかしい病気にほど近く、痔とか脱腸と紙一重の感がある(そうでもないか?)

まあ、私の職場(病院)では「ヘルニアなんですか?クスッ(^^;)」みたいな扱いなのだ。だから大きな声では言えないが、既に痛い足を引きずりながら歩いている姿はなにものでもない。いや「また痛風ですか?」と言う奴もいる。ったく同情より、面白がってる好奇な目なのだ。

だが、痛風ならば、その方がゴールが見えててイイ。が今回のヘルニアだけはちょっと厄介だった。と言うのも、そのS医師が言うには......下はもう潰れているし骨が削れている、新たに起こったんだから、これはもう「手術」した方が良いよ。

へ?しゅ、手術ですか〜!!」.............。

そうそう、今はね内視鏡的に取り除けるし、キズも小さい、それに入院期間も2週間程度で」................段々と気が遠くなってしまった。

  

天気がよいので駐車場には1台のみ
とりあえず点滴
何時まで続くのか....

 

まあ、とりあえず点滴続けて

と、言われたものの「手術」と言う言葉は思っても見なかった。しかし、手術となると大変である。大体痛いのは嫌だ(小心者)、でもこの痛みには変えられない。だけど、今手術をして昔より短くなったとは言え2週間も仕事を空けるわけには行かない。いや、今と言うか、そんなに空けるなら事前に色々とやる事がある。

だけど、この痛みには変えられない。結局最後には仕事の事を思ってしまうのは悲しいサラリーマンの佐賀、いやサガ。まあ、今に直ぐ手術と言う話ではないらしいが病気は待ってくれない。とりあえず、なるべくポジティブな文章で書いてはいるが、心は裏原、いや裏腹である。

困ったよ。とほほほほほ(υ´ Д`)..............でも、それからがちょっと大変であったのだ.........つづくネタがないので続きます。